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第二章 5

バギーは、赤砂利だらけの一本道を、ガタガタと激しく上下に揺れながら疾走していた。ドーの星に三台しかない大型のバギー。年に数回動かす程度のこのバギーが、まさか二日続けて出動することになるとは。そう思いながら、オオノキは、ハンドルを握る手に力を込めた。

「大叔父! 車輪が外れる!! スピード落として!」

真後ろの席からザヌが叫んだ。と、同時に、バギーは大きな赤石に乗り上げ、右に大きく傾いた。オオノキはブレーキを踏む。が、ブレーキのつもりだったが、それはアクセルだった。バギーは片側のタイヤだけで身を震わすように加速し、回転し、3回ほどバウンドしてから元の体勢に戻った。

「すまん!!」

オオノキが叫ぶ。

「とにかく落ち着いて! 本当かどうかは、まだわからんぞ!」

最後尾からカカが叫んだ。バギーから振り落とされないよう、必死に目の前のバーにしがみついている。

「ハナはああ見えて、気の小さい所もあるからな!」

ヨースという名の、三つ冬を越した叔父が言う。

「だけど、ハナはそう言ったんだ! 死体だって! 完全に死んでたって! なぁ、クロイ!」

マルが叫ぶ。バギーは林の中に入る。背の低いフュルの木の枝がいくつも、オオノキたちの顔面目がけて鞭のように飛んでくる。それを避けながら、マルは同じことを何度も叫ぶ。それに対してクロイも、必死に体を竦めながら首を何度も縦に振った。

今からほんの三十分ほど前。

マルとクロイは、畑に出て、収穫の終わった畝の土を、大きなスコップで掘り返していた。連作による障害が起きないよう、土の上下を入れ替える。腕を振り上げ、振り下ろし、振り上げ、振り下ろし、また振り上げたところで、風に巻き上げられた赤い砂塵の向こうからハナ・ドーが走ってくるのが見えた。

「あれ? ハナ、何やってるんだ?」

クロイの声に、マルも、スコップを持つ手を休めて顔を上げた。

「あいつ、今日は、道案内だろ?」

「だよなあ。宇宙船の皆さんと、聖なる祠まで」

ハナの方も、マルとクロイに気がついたようだ。

「おーーい! おーーい!」

と激しく手を振りながら走ってくる。そして、ふたりの側に来るなり、

「ヤンを見なかったか?」

と、肩で息をしながら尋ねた。

「ヤン? いや、見てないよ。おまえと一緒にいたんじゃないのか?」

とクロイは答えた。昨夜の宴会で、客人たちは聖なる祠を見てみたいと言った。祠の中は立ち入り禁止なので入り口までなら、とオオノキが答えた。レイジは宇宙船の修理と点検があって一緒にいけないので、レイジの代わりにハナとヤンが客人たちの案内係をすることになった。そのやりとりをマルもクロイも聞いていた。

「それが、どこにもいないんだよ……」

ハナは、悲痛な声で言った。そして両手で顔を覆うと、そのまま畑の中でしゃがみ込んだ。

「おいおい。何があったんだよ。ていうか、おまえ、客人たちはどうした? 祠の前に置いてきたのか?」

マルが尋ねる。と、ハナは絞り出すような声で、

「客人たちは……死んでる」

と言った。

「……は?」

「死んでたんだ……気がついたら、客人は死んでたんだ!」

ハナのいきなりの絶叫に、マルもクロイも凍りついた。

「し、死んだ?」

「え? なんで? 心の臓の発作とかか?」

「違う。あれは病気じゃない。あれは、たぶん、人殺しってやつだ」

「え?」

「聞こえなかったのか? あれは、人殺しだ!」

ハナは、説明が下手だったし、マルもクロイも、きちんとものを尋ねるのが苦手だった。それでもなんとか必死に聞き出した話によると、ハナとヤンは、客人たちと聖なる祠までは和やかな雰囲気で歩いて行ったのだという。祠の前まで来ると、彼らは、

「ほんの少しでよいから中も見たい」

と言い出した。

「中はダメなんです。そういう決まりなんです」

そうハナとヤンが言うと、リッチという金持ちが、

「いくら払えばいいんだ?」

とゴネ始めたという。そして勝手に中に入ろうとするので、一生懸命彼らを止めようとしていたら、いきなり背後から誰かに頭を殴られ、ハナは気を失ったのだという。

「目が覚めたら、ヤンはいなくなってた。客人たちもいなくなってた。ただ、死体がふたつ、俺のすぐ近くに転がっていて……」

「なんだよ、それ! 意味が判らないぞ!」

「なんで彼らがおまえの頭を殴るんだ!」

「知らないよ!」

「誰が殴ったんだ!」

「知らないよ! 後ろからだったんだ!」

「でも、ヤンは見てたんだろう?」

「だと思うんだけど、そのヤンの姿が見えないんだ!」

「……」

それで、マルとクロイは農作業を中止して、オオノキのところまで走ることにした。ハナは、宇宙船を修理しているレイジのところまで走るという。客人はみんなレイジの連れなのだし、それにもしかしたら、そこにヤンもいるかもしれない。

ドーの星は、諍いの無い星である。諍いが無いから武器と呼ばれるものも無く、ましてや殺人事件など起きたことが無い。マルとクロイの話を聞いて衝撃を受けたオオノキは、すぐに「マリフ」に連絡をした。マリフとは、ハムダルの星防局警備部から警察業務を委託された現地人のことで、簡易なマニュアルを渡され、定期的に訓練も行われる。辺境の惑星では、住人二千人に一人の割り合いでマリフが任命されるのが通例だった。が、ドーの星では、そもそも犯罪行為というものがなく……ドーの人々は嘘をつかないので詐欺行為も無かったし、星にあるものは全て「みんなのもの」なので窃盗という行為も起きようがなかった……なので、ドーの星にはマリフはたったひとりだけだった。ドス・ドー。彼は、ドーの宇宙港に一番近い集落に住んでいる。ごく稀に、貿易のためにやってきた他星人たちが宇宙港で荷物を盗んだ盗まれたと騒ぐことがあり、そういう時にマリフが近くにいると便利だからだ。ちなみに、宇宙港からオオノキたちの集落までは、マリフ用の一人乗りのバギーを飛ばして丸一日かかる。

「現場にはわしはまだ行ってないんだが、その若いのは『殺人だ』と言っている」

そうオオノキに言われて、ドス・ドーはしばし絶句した。それから、

「ちょっと待ってくれ。今、殺人の部分のマニュアルを読むから」

と答え、滅多に使わない電子パッドを起動させたのだった。

フュルの林を抜け、バギーは山岳地帯に入る。太陽ドワは、ほぼ真上にいる。ドワの光と筋状の雲たちが、赤い岩肌の上に縦縞の模様を作っていて、上空の強い風が、その模様を猛スピードで動かしている。坂を上り、少し下り、また上り、少し下り、また上ったところで、バギーはつかの間の平地に出る。その平地の真ん中に、地下から大地を割って迫り上がってきたかのような、巨大な岩がひとつ鎮座している。岩の真ん中が、まるで女性器のように縦に長く裂けていて、そこが地下深くまで続く長い洞窟の入り口になっている。ドーの人たちは、砂岩からくり抜いた赤石を積み上げてアーチを作り、真ん中に、ラーズの木で作った両開きの赤黒い引き戸を据えた。鍵はかかっていない。鍵、というものは、ドーの星では必要になったことがないからだ。それは、「あなた」と呼ばれるドーの神が住む、この聖なる祠でも同じことだった。ドーの星では、厳しい冬が始まる直前、すべての民がこの祠の前に集結し、「夢見」たちの声に従って祈りの言葉を唱和する。妊婦も、赤子も、老人も、すべてだ。その時は、宇宙港ですら何日も閉鎖になる。そんな場所で、人が殺される? そんなバカな。有り得ない。どうか、ハナの勘違いであってくれ。そんなことを思いながら、オオノキはブレーキを踏み、そんなバカな。有り得ない。どうか、ハナの勘違いであってくれ。そんなことを思いながら、オオノキはブレーキを踏み、祠の50メード手前でバギーを停めた。目の前までバギーでは行かず、聖なる祠には人の足でのみ近づく。それが昔からの慣習だった。

エンジンを切ると、辺りは風の音だけになった。

バギーに乗ってきた全員が、そっと地面に降りた。聖なる祠の前に、人がふたり、倒れているのが見えた。

「おい!」

オオノキが声をかける。相手は動かない。

「おい!」

オオノキがまた声をかける。相手は動かない。

「カメラを出せ」

ヨースが小声で言った。集落に一台しかない黒い大型のカメラは、頑丈なケースに入れて、カカが持ってきていた。そのカメラを、恐る恐る取り出す。カメラを持って行けというのが、マニュアルを読んだドス・ドーからの最初の指示だった。

「カカ。まず遠くから一枚撮れ」

そうオオノキが言う。

「大叔父、勝手に人を撮ったらだめなんじゃ……」

そうマルが言う。

「そうだよ。魂が抜けたらどうするんだ。せめて、相手に先に断ってから……」

そうクロウが言う。

「現場に着いたら、先ずは遠くから写真を撮れと言われてるんだ。それに……彼等の魂は既に抜けちょる」

オオノキが言う。彼の声も少し震えている。年配の者として気丈に振る舞おうとしているようだったが、彼もこの事態に動揺しているのは明らかだった。

カシャン。

カカが写真を撮る。遠くから一枚。少し近づいてまた一枚。それから足跡などを撮るために足元ばかりをアップにして10枚ほど。そうやって、写真を撮りながら、彼らはじわじわと、動かないふたつの死体の側に近づいていった。

一人は、ラーズの木の扉のすぐ前に倒れていた。男。ハムダル星から来た男だ。大きく両手を広げ、大地に仰向けに倒れている。金色の髪が強めの風に揺れている。そのすぐ下、額の真ん中には、円形に縁の焦げた黒い穴がポッカリと空いている。

もう一人は、そこからメードほど左にいた。こちらも男。うつ伏せ。彼の頭髪も鮮やかな金色だ。腹部を両手で押さえたまま、ずるずると地面に這うように絶命している。腹部から出たであろう大量の血が赤い水溜まりのようになっていて、ハムダルから来た男は、そこに体の半分を沈めていた。

「カカ。写真だ」

オオノキが命じる。が、カカの我慢は既に限界に来ていた。カカはカメラをザヌに向かって投げると、バギーの向こう側まで走っていき、胃の中のものをそこですべて吐いた。それにつられて、マルもクロウも吐いた。ザヌも、投げられたカメラをヨースに渡し、バギーの手前でゲエゲエと吐いた。ヨースは、喉の奥に迫り上がって来るものを意地で飲み込んだ。カメラを構える。両手が震えてなかなかピントが合わない。それでも、右手の人差し指でシャッターボタンを全力で押す。押している間、カメラは連写モードになった。

「ヨース。もういい。指を離せ」

オオノキが言う。たった一回の撮影で、指が硬直してしまったようにヨースには思えた。オオノキは、シーバーで遠く離れたマリフのドス・ドーとの回線を開いた。しばらく、陰鬱な表情で向こうの指示を聞く。それから、

「次は、死体を動かし反対側の写真も撮れ、だそうだ」

と言った。そして、自ら血だまりの中に足を踏み入れ、腹部を抑えたまま絶命しているうつ伏せの男の体をゴロリと180度転がした。

と、その時だった。

遠くから轟音が聞こえ、程なく地響きが始まった。

「な、何の音だ?」

ドーの男たちが、音の方向に向き直る。と、銀色に輝く宇宙船D-227が、青白い炎を噴射しながら、垂直に離陸していく姿が見えた。

「ど、どういうことだ……」

オオノキはカラカラに乾いた口で呟いた。

「なぜ、宇宙船が飛び立つ? あれには、いったい誰が乗ってるんだ?」