第三章 5
ドーの星では、時刻を日照時間で測る。日照時間を八分割し、午前を紅の一時から四時。午後を茜の一時から四時。季節によって日照時間は変わるので、ドーの星の時の進みも変わる。ちなみに、夜は時を数えず、ただ、藍の時、という。
茜の一時。
リッチ・カーオが腕に付けていたスマート・ウォッチが警報を発してから、ハムダル時間で15分ほど後、聖なる祠の前に、男の死体が二つ転がった。
ひとつ目は警報を鳴らした本人。リッチ・カーオ。祠の扉のすぐ目の前。両手を大きく広げ、大の字になって仰向けに倒れている。金色の髪が、次第に強くなってきた岩風にバサバサと揺れる。突き出た腹。大きく見開いた目。そして蒼白い額には、1セタほどの、縁が黒く焼け焦げた穴。レーザーが傷口を瞬時に焼いたので、血はほとんど出ていない。
もうひとつの死体は、リッチから5メード離れた左側にあった。こちらはうつ伏せに倒れている。白いジャンプ・スーツ。短く刈り込まれた金色の髪。こちらは、体の下から血が渾々と流れ出し、死体を中心に大きな円形の赤い水溜まりを作っている。顔は見えないが、服装と髪型から誰であるかはすぐにわかる。キャプ・ヴァイス。宇宙船D-227の機長である。
そこには死体しか無い。
ヤン・ドーはいない。
ハナ・ドーもいない。
キャプとリッチと同じ船に乗っていたハク・ヴェリチェリ、エリ・クム、パラン・エフの三人もいない。
動かない死体と、聖なる祠。動いているのは、風と、天空を行くドワの星。
茜の二時になると、風音の向こうから車輪の軋む音が聞こえ始めた。音は次第に大きくなり、やがて、昨夜ハムダルからの客人たちを乗せた大型のバギーが現れた。ハンドルを握っているのはオオノキ・ドー。色素の抜けた白い髪に白いあご鬚。冬を4回も越した老人だが、筋骨は未だしっかりとしている。オオノキの隣には、カカ・ドー。ヨース・ドー。その後ろにはクロイ・ドー、マル・ドー、ザヌ・ドー。全員が、緊張で顔を強張らせている。
やがて、オオノキはブレーキを踏み、祠の50メード手前でバギーを停めた。目の前までバギーでは行かず、聖なる祠には人の足でのみ近づく。それが昔からの慣習だからだ。
彼らは、死体と、死体の周囲の様子をカメラで記録した。
それから、遠く、宇宙船D-227号が宙へと飛び立つのを目撃した。その宇宙船のパイロットは、彼らの目の前で死体となって転がっているというのに。
全員が同じ疑問を抱き、混乱をした。
(あの宇宙船を操縦しているのは誰なのか)
(なぜ、仲間の亡骸を放り出したまま飛び立つのか)
やがて、雲を幾つも突き抜け、ドーの民の素晴らしい視力を持っても、宇宙船D-227号は完全に見えなくなった。
「このまま突っ立っていても仕方がない」
最初に気を取り直したのは、最長老であるオオノキだった。
「このふたりをバギーに乗せろ。集落に運ぶ」
「集落に?」
ヨースが目を丸くして言った。頭頂部の薄くなった彼の白髪頭から、こめかみに向かって汗が流れた。
「ずっとここに置いておくわけにもいくまい。ここは聖なる祠の庭なのだから」
「それはそうだけど……」
「宇宙船のことは後で考えよう。単なるテスト飛行かもしれん。今はとにかく、この亡骸たちのことをきちんとしなければ」
バギーには、念のためにと積んできた二組の大判の布とロープがあった。先ず、布を地面に広げる。マルがリッチ・カーオの両肩を、クロウは反対側から両足を持った。そして、ザヌがその逞しい腕で腰のあたりを下から支えた。
「慎重にな、そっとだぞ」
と、カカが声を掛ける。リッチを布の上に起き、次に同様にキャプ・ヴァイスも運ぶ。
「なあカカ。このふたり、銃で撃たれた痕が、違い過ぎないか?」
傷口を最も近くで見たマルが、そう疑問を口にした。
「リッチさんの弾の痕は丸く開いた穴の縁が黒くなっているだけだが、キャプさんは服まで広く焦げておるし、穴もリッチさんのより大きいような気がする」
「おまえは何が言いたいんだ?」
「や、それは俺にもよくわからんのだけど、ただ、なんか奇妙だなと」
「ふむ……」
そこで全員が押し黙った。そもそも、こうした事件について考えることに、彼らは全員、慣れていなかった。
「ところで、レイジはどうしてるんだ? あいつは、今日はロケットの修理だと言っていたよな? てことは、さっきのロケットは、レイジが直してレイジが飛ばしたのか? レイジが操縦して?」
今度はヨースが疑問を口にした。
「いや、それは無いはずだ」
オオノキが否定をする。
「俺は前にレイジから聞いたことがある。ハムダル星では、ワープ航法は最重要機密で、ハムダル・ピュアと呼ばれる連中にしか絶対に教えないんだそうだ。レイジも、ハムダル宇宙大学で量子エンジンの整備までは学べたが、それ以上は法律で禁止されていると言っていた。だから、宇宙船を自分で飛ばすことは出来ないはずだ」
「だったら誰が? 機長はここで死んでおるぞ?」
「機長が死んだなら、副機長ってやつが操縦なのでは?」
「副機長って誰だよ」
「あの真っ白な美人さんだろ」
「ハク・ヴェリチェリさん」
「そう! ハク・ヴェリチェリさん!」
「いや、それはおかしい。だって、あのハクさんは、この『聖なる祠』のツアーに参加してたじゃないか。それがどうやって、こんなに短時間でロケットまで戻って操縦席に座れるって言うんだ。あっちは徒歩で、俺たちはバギーだったんだぞ? ここまで来る道でも、すれ違ってすらいないんだぞ?」
クロウが口から唾を飛ばしながら喚いた。
「だから!」
オオノキが大声を出した。
「ロケットのことは後で考えると決めただろう! 今は忘れろ! それより今はこのふたりのことだ。早くヤンを見つけて、何が起きたのかを聞かなければ」
「それはそうだが、で、ヤンはどこにいるんだ?」
「……」
「ここにはいない。それしかわからん。さ、彼らを荷台に積め」
リッチ・カーオとキャプ・ヴァイスは、バギー最後方の荷台に、木のツルで編まれたロープで括りつけられた。その間に、オオノキは祠に近づき、開いていた扉から中を覗いた。
「失礼致します」
そう小さく呟き、靴を脱いで中に入る。
左手で側面の岩肌を触りながら、十歩ほど進むと、地下へと降りていく急坂がすぐに現れる。覗き込む。下は漆黒の闇だ。
「ヤン」
呼んでみる。
「ヤン」
しかし、闇からは何の音も返って来なかった。
「ヤン!」
もう少し、大きな声で呼んでみる。
「ヤン!!」
やはり、闇からの返答は無い。何の音も返って来なかった。
(当たり前か。ドーの民は、夢見の巫女以外、決してこの祠には入らぬ)
この時、灯りを手にもっと奥へ……聖なる祠の最深部までオオノキが見に行っていれば、ドーの星も、ハムダルの星も、違う運命を辿れただろう。だが、彼はそうしなかった。ほんの十歩とは言え、すでに彼は、ドーの「あなた」の住む聖なる祠を汚した存在だったからだ。
オオノキは静かに引き返し、扉のところでまた頭を下げた。
「大変失礼を致しました」
そして、扉をぴったりと閉めると、仲間たちが既に乗り込んでいるバギーの運転席に乗り込み、エンジンをかけた。
バギーは、来た時の三分の一の速さで集落へ向かった。岩で車体が跳ね、万が一にもハムダルからの客人の遺体を落としてしまわないための用心だった。
「あれって、病いで出来るものじゃないよな?」
車中で、ヨースがボソリと呟いた。
「訳がわからないよな。いきなり体に穴が空くなんて。それに、さっきの宇宙船。あれには一体……」
「わからない時は口を閉じていろ!」
オオノキが強い語気で言った。ヨースは黙り、以降、口を開く者はいなかった。リッチ・カーオとキャプ・ヴァイスの遺体の両脇では、マル・ドーは気忙しく瞬きばかりをし、クロイ・ドーは不必要なほど強くロープを握り締めていた。カカ・ドーは足を細かく揺らし、ザヌ・ドーは爪を噛み、オオノキ・ドー自身は、考え事をする時の癖で、ずっと自分の白い髭を撫でていた。
集落に戻ると、オオノキはバギーを客用ゲルの前に停めた。ワッと集落の子供たちが寄ってくる。
「大叔父たち、お帰りなさい!」
「どこに行ってたの?」
「宇宙船のお見送り?」
「僕も宇宙船乗ってみたい!」
「ねえ。バギーのハンドル、触ってみてもいい?」
宇宙船がやってきたり、それがまた飛び立ったり、滅多に出動しない大型バギーが二日続けてそのエンジン音を響かせたりしたので、子供たちの興奮は絶頂だった。バギー後部に積まれた荷がハムダル人の死体であることにはまったく気づいていない。と、そこにすぐ、集落の女たちが駆けつけて来た。三十人以上はいる。こちらは皆、既に事情の一部は耳にしているのだろう。全員がありありとその顔に不安を見せている。が、女たちは子供らと違い、じっと言葉を飲み込んだままオオノキからの説明と指示を待った。
「子供たちは家に入れ。そして、女衆は『送り』の準備を」
小さなどよめきが起こった。『送り』とは、葬式のことだからだ。
「誰を『送る』のですか?」
尋ねたのは、ユリ・ドーだった。
「『送る』のは、ふたりだ」
オオノキの答えに、またどよめきが起きる。
「ハムダルからの客人をふたり、丁重にお送りしたい。すぐに取り掛かってくれ。男衆はヤンを探すぞ」
死者がふたりも出たという衝撃。と同時に、死んだのがヤンではないと言われたことへの安堵。それらの気持ちがユリや、他の女たちの顔にほぼ同時に現れた。
ふたつの死体をゲルの中に運び込み、中央に並べて安置をした。それからオオノキは男衆を方角別に八つの組に分け、首尾良く彼女を見つけた時の連絡方法も取り決めた。
「カカ。おまえはここで亡骸を見張っていてくれ。マリフのドスから連絡が入ったら、その対応もおまえがしてくれ」
「大叔父はどうするんだ?」
「わしは、北の岩山へ行ってみる」
「え? あの宇宙船があった場所か? 宇宙船はもう飛んで行ってしまったぞ?」
「それはそうだが、一応、念の為な」
「しかし、大叔父。北の岩山だと、着く頃にはドワが沈むぞ」
ドーの星は、昼夜の寒暖差が激しい。北の岩山は吹きっさらしで、日没直後から大地は凍てつく。斜面で足を滑らせたら、それだけで一巻の終わりだ。
「大丈夫だ。わしは初めてじゃない」
「そうなのか?」
「ああ。まさかもう一度、夜にあの岩山に行くことになるとは思わなかったが」
ゲルを出る。岩山に向かう前に、まずミイヒ・ドーの家に寄る。三度目の冬から、オオノキはミイヒの家で寝起きをしている。ミイヒは不在だった。他の女衆と一緒に『送り』の準備をしているのだろう。オオノキは一番奥の部屋に入ると、クローゼットから、ドーの星には不似合いな銀色の上着を取り出した。特殊な化学繊維で編まれた、ハムダル製のウインド・ブレーカー。空気のように軽く、それでいてダダルの上着を三つ重ね着するより暖かい。
オオノキは、その銀色の防寒着のつるつるとした手触りが嫌いだった。
それは、冬ふたつ前の、あの悪夢の夜を思い出させるからだ。
北の岩山。
双子の月の明かりが、血溜まりを照らしていた。
そう。あれが、ドーの星で起きた、初めての人殺しの夜だった。