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第三章 4

「死ぬには良い日?」

驚いた様子で、ハクは訊き返してきた。

「はい、今日は死ぬには良い日ですね」

そうヤンは繰り返した。それから、

「あれ? ハムダルの皆さんは言わないんですか? ドーの星では、良い天気の朝には、必ず言うんです。『今日は死ぬには良い日ですね』」

と付け加えた。宇宙でもっとも素晴らしい遺伝子を持つと言われるこの女性は、「死ぬには良い日」という言葉が単なる挨拶だと聞き、安心したような微笑を口元に浮かべた。

「そうなのね。ハムダル星では、良い天気の朝も、悪い天気の朝も、どちらもただ『おはようございます』と言うわ」

「おはよう?」

「早起きですね、という意味よ」

「そうなんですか。ドーの星では、全員が一斉に夜明けと共に起きるので、早いとか遅いとかがないですね。だから言わないんでしょうね」

「星の、それぞれの違いって面白いわね」

 そんな当たり障りのない会話を、ヤンはハク・ヴェリチェリとした。ヤン自身は、もっと違うことをこの美女と話したかったのだが、それはうまくいかなかった。

隣のゲルの扉が開いた。他の集落から来賓があった時にだけ使われる客用のゲルだ。あまり頻繁には使われないので、まだ作り立てのような白さだ。その白いゲルから、ジャンプスーツ型の白い宇宙服を着た細身で長身の男が出てきた。レイジの上司である、宇宙船D-227号の機長キャプ・ヴァイスだ。

「朝から哲学的な話をされてますね、ハクさん。生と死は人間の永遠のテーマですよね」

キャプ・ヴァイスは、端正な顔に人当たりの良い笑顔を浮かべながら言った。

「哲学だなんて。ただのお天気の良い朝の挨拶の話です」

ハクはそう言いながら、同意を求めるようにヤンをチラリと見た。ヤンはうなづき、

「はい。ドーの星ではこれが普通の挨拶なんです。『今日は死ぬには良い日ですね』」

と答える。

「死ぬには良い日、か……。私は『人間死んだら終わりだ』と習いましたが」

そういうキャプは、まだ同じ微笑みを浮かべている。ハクが、

「でも、誰だっていつかは必ずこの世とお別れする日が来るわけだから、それならせめて、こんな穏やかな日であって欲しいわ」

と返事をする。

「なるほど。一理ありますね。でも自分は実は永遠に生きたい人間でして。どんなに天気が良くても、死ぬのは最悪です」

そう言ってキャプは肩をすくめた。まさか、ハムダルでは科学の力で永遠に生きられる人もいるのだろうか。ヤンは一瞬、そんなことを考えた。まさか。

と、再び同じ客用ゲルのドアが開いた。リッチ・カーオ。遠く、アルファ・ケンタウリ星の鉱山の権利が買えるほどの大金持ち。背は低く、肉付きは良く、少し腹が出ている。ドーの星には腹の出た男はいないので、ヤンは少し彼を奇異な動物のように感じてしまう。リッチは宇宙服の上に黒い革のジャンパーを羽織っていた。ちなみに、ヤンがずっと抱えている鉄の塊は、リッチ・カーオの所有物だ。昨夜の着陸時、彼は「未開の星は危険がいっぱいだから」と言いながらこの鉄の塊を抱きしめて降りてきた。そして、ハクに叱られ、それをヤンに渡してきた。

「これ邪魔だからさ、君が持っててよ」

ヤンのことを自らの使用人のようにこの男は扱った。ちなみに、この鉄の塊は「ライフル」と言うのだそうだ。人に向けて引き金を引くと相手が死ぬ。そういう物騒なものであるらしい。

「ハクさん! 今日はまさに観光日和ですね! 辺境の惑星の聖なる祠だなんて、とってもトラディショナルな体験が出来そうですね!」

この場にヤンもキャプも存在せず、世界にリッチとハクの二人きりしかいないかのような態度だった。ちなみに今日、皆を聖なる祠に案内することになったのも、昨夜リッチが盛んにハクにだけ、

「明日はどうしましょう? ハクさんは何をしたいですか? 宇宙船をレイジ君が直すのに丸一日はかかりそうですし、そうなるとハクさんの貴重なお時間がただ無駄になってしまいそうで自分は心から心配しておりまして。ハクさん。遠慮なく希望を言ってください。お金でなんとかなることでしたら、このリッチ・カーオ、全力で請求書はお引き受けいたします」

と、延々と宴の席で繰り返したからだ。

「私、実は、ドーの星に来たら行ってみたいなと思っていた所があるんです」

リッチにしつこく問いただされ、ついに遠慮がちにハクが言い出した時、ヤンはかなり驚いた。ハムダル星の大統領の娘であり、宇宙でもっとも血統が良いと呼ばれるこのエリートの女性が、前々からドーの星を知っていて、聖なる祠のことまで知っていたなんて。それからすぐに、ヤンはその理由をあっさりと推察した。つまりはレイジだ。レイジ・ドー。ヤンの兄。この星で唯一、髪の色が違う兄。ハク・ヴェリチェリは、ヤンの兄に興味があるのだ。だから、彼の故郷であるこの星にも興味があり、この星で最も聖なる場所である、あの祠にも興味があるのだろう。

「それでしたら、ガイド役には僕の最も親しい友人を推薦します。あと妹と」

そうレイジが言ったので、今、ヤンはここにいる。もうすぐハナも来るだろう。レイジの口調には屈託というものが全くなく、他人の気持ちに鈍感なのか、それともマイペースが過ぎるだけなのか、それが妹であるヤンにもわからなかった。

それからほどなくして、残りの客人もゲルの外に出てきた。

ハムダル宇宙大学の教授であるパラン・エフ。彼は、ダダルの虹色の羽毛を編み込んだ上着に麻のズボンを着用していた。彼は、ドーの人々と同じ褐色の肌であり、髪も、年齢のせいで多少白いものが混じってはいるが、ほぼドーの人々と同じ緩くウェーブのかかった黒髪だった。なのでドーの衣服を着ると、見た目上はもう客人には見えなかった。

「パラン教授! 誰かと思いましたよ! すっかり現地の人じゃないですか!」

そうキャプが声を上げると、

「初めて着たんだけど、このダダルの羽毛の上着は最高だね。軽くて、しかも暖かい。私はこれは必ず買って帰るよ」

とパランは笑顔で答えた。

もうひとりはエリ・クム。ハムダルの大統領筆頭補佐官であるノア・クムの妹であり、彼女自身はジャーナリストの仕事をしている。

「今日って、日焼け止め、要る?」

それが、エリの第一声だった。

「日焼け止めって何ですか?」

そうヤンが尋ねると、

「訊いた私がバカでした。忘れて」

と感じ悪く横を向かれた。

これで、宇宙船修理担当のレイジ・ドーを除く、D-227号の乗員全員が揃った。ハナ・ドーは最後にやってきた。ハナは少しせっかちな性格なので、ハナが最後というのは珍しかった。心無しか、表情も暗い。

(体調悪いの?)

と小声で尋ねると、

(昨日、飲み過ぎたかも)

と小声で返事が返ってきた。ハナが、翌日に酔いが残るまで飲むのは珍しい。が、それ以上立ち入った質問をするのはやめておいた。突然のレイジの帰郷に、ヤン自身も心穏やかでないものがあったからだ。久しぶりに顔が見られた喜びはもちろんある。だが、宇宙船が直ればすぐに彼はまた出ていく。その寂しさを既にヤンは強く感じている。

日の出。恒星ドワがその球体の全てを地平線から現したタイミングで、全員は集落を出発した。

ドーでは珍しい、風の弱い日だった。赤い砂塵の舞わない大地は空気の透明度が高く、すべての岩山がクリアに見渡せた。フュルの木の枝の輪郭。赤く熟れた果実のような叢。それを食むケイトの群れ。いつもと同じ景色でも、風が弱いというだけで素晴らしい風景に変わる。先頭を歩くのはハナと大学教授のパラン。パランの後ろを、何か話しかけたそうな雰囲気のエリ・クムが続く。そこから少し離れた後ろでは、ハク・ヴェリチェリをキャプ・ヴァイスとリッチ・カーオが両側から挟むようにして歩いている。ヤンは常に最後尾にいた。リッチのライフルは手にしていたが、それよりもずっと重い、全員分の弁当の入ったリュックをハナが背負ってくれていたので、体力的には楽だった。

「宇宙船の中で歩行器を使うのと、本物の地面を歩くのとでは、やはり爽快感が違いますね。ハクさん」

リッチの媚びた声がヤンのところまで聞こえてくる。ハクは相手にしているようなしていないような、曖昧な頷きを繰り返している。恒星ドワが、グングンとその高度を上げ、ハムダル人たちの金色の髪をキラキラと瞬かせた。パラン・エフ以外の全員が金髪なのだ。ドーの星では、男も女もみんな黒髪だ。唯一の例外がレイジ・ドー。彼だけが、生まれた時から銀色の髪だった。

突然、リッチがケイトの群れに向かって右膝を落とし、左手を大きく前に伸ばして「バーン」と射撃の真似をした。その次に「アラアラアラアラウラウラアラアラ」と意味不明の奇声を発しながら軽く踊り、それから急にヤンの方を振り返り

「腹が減ったんだけど、お弁当タイムはまだ?」

と質問をしてきた。

「まだ、半分も来ていませんよ」

そう先頭のハナが言う。

「マジか。君たち、世界で一番美しいハク・ヴェリチェリさんの体に『靴擦れ』とか作っちゃったら責任取れるの?」

そんな会話をしながら、それでも一行は予定通りの時間で、すり鉢状の盆地から、低い岩山の続く尾根に抜けた。

「少し休憩しましょう。ここからは登りと下りの坂が続きます」

そうハナが言った。大岩の日陰をそれぞれ見つけ、手頃な石を椅子代わりにして座る。石はどれもひんやりと冷たく心地良い。ハナは、背負っているリュックから、ハホバという香りの良い大きな葉で包んだ干し肉を取り出し、全員に配った。と、その時、頭上で「クルゥッ」という声がした。見上げると、二羽の大きな灰色の鳥が、重なり離れながら、一行の真上の空を旋回していた。

「大きな鳥だなあ」

パランが感嘆の声を上げる。

「あれは、ラピドゥスという鳥です。ドーの星では、彼らは幸運のシンボルなんですよ」

と、ハナがみんなに解説をした。

「ラピドゥスは、いつも雄と雌の対で大空を飛びます。生涯のすべてを、ひたすら愛の時間として過ごすんです」

「素敵ね」

小さな声でハクが言った。

あの日、ラピドゥスが現れたことを、ヤンはその後何度も思い返すことになった。

ラピドゥス。愛の鳥。幸運のシンボル。

彼らはなぜ、現れたのだろう。

あの日起きた悲惨な出来事を、どう解釈すれば、「幸運」という言葉と結びつけられるのだろう。

小さな岩山を越え、中くらいの岩山も越え、巨大な岩山は大きく円形に迂回した。そして、恒星ドワがちょうど天頂付近に達した時、一行は、林立する大小の赤黒い岩に囲まれた、広い高原に出た。背の低い、赤と黄色の入り混じった草花が、一面に咲き乱れている。

「皆さん! 着きましたよ! あれが聖なる祠です!」

ハナが大声で、高原の中央にある、ひと際大きな漆黒の巨岩を指差した。高さ百メードはあるその巨岩は、足元に5メード5メードほどの大きさの三角形の穴が空いている。その穴の部分を古しえのドーの星の人たちが石を積んで塞ぎ、中央にラーズの木で作った両開きの扉を設置していた。通常の扉の3倍はあろうかという大きな扉。樹液から抽出した蝋を塗り劣化を予防している。毎年塗り直しているので、いつもこの扉の表面はつややかで、ザラザラした周りの岩肌とは対照的だった。

「これが、聖なる祠ですか!」

パランが上ずった声を出した。

「聖なる祠は、ここから地中深くまで続いています。一年に一度、『夢見』と呼ばれる巫女たちが、祠に入って『あなた』からのお告げを聞きます。それ以外の時は、中に入るのは禁止されています」

そうハナが説明をした。

「それじゃ、私たちは中には入れないんですか?」

エリが訊ねた。

「はい。聖なる祠に入れるのは『夢見』の巫女たちだけなんです」

が、そのハナの言葉を無視して、リッチがラーズの木の扉に手をかけた。ゴトゴトゴトと、扉はいとも簡単に動き始めた。

「ダメですよ、リッチさん! 聖なる祠の中には入れないんです」

「でも、鍵も掛かってないし、ちょっとくらいなら良いだろう? せっかくこんなところまで来たんだし」

「ダメです!」

「なんなら追加料金払っても良いよ。ハクさんも、中、見たいですよね?」

ハク・ヴェリチェリは、困ったような微笑を浮かべ、

「リッチさん。私は、この星のルールに従うべきだと思いますよ。外からこうして見ているだけでも、私は十分に感動的だと思います」

と言った。そう言われて、リッチも無理やり中に入ることはやめた。

と、その時だった。

リッチがいつも腕に付けているスマート・ウォッチが、警報を発し始めた。

ピピピ、ピピピ、ピピ。ピピピ、ピピピ、ピピ。