第二章 6
宇宙船D-227は、宙に向かって飛び立った。
それを、ハナ・ドーは、500メードほど手前の赤砂利の道から見た。
「どういうことだよ……」
ハナも、オオノキと同じ言葉を叫んだ。
「何で宇宙船が飛び立つんだよ! いったい誰が乗ってるんだよ!」
あの宇宙船は壊れていたのではなかったか?
機材トラブルが起きて、そのためにわざわざドーの星に不時着をしたのではなかったか?
宇宙船はもう直ったのか?
今日、レイジ・ドーだけが、修理のために宇宙船に残っていた。では、たった半日で、レイジは宇宙船を直したのか? 直したとして、いったい誰が操縦をしているのだ?
レイジ・ドーは船外作業員で、機材修理や船体修復は出来ても宇宙船の操縦は出来ない。ハムダル星では、ワープ航法を含む宇宙船操縦技術はS級の軍事機密扱いになっていて、ビジターがそれを学ぶことは絶対に出来ない。そうレイジがメールで愚痴るのをハナは聞いていた。だから、あの宇宙船を操縦しているのはレイジではない。
では、誰だ?
そして、宇宙船に残っていたはずのレイジは、今どこに?
そして、今日一緒に「聖なる祠」のツアーに参加したヤンは、今どこに?
レイジとヤンの身に、何が起きた?
ふと、ハナは天文台のことを思い出した。ハナとレイジとヤン、三人だけの秘密の場所。何か良からぬことが起きた時、あのふたりなら、天文台に避難している可能性もあるのではないか。ハナは、もう一度走り始めた。
集落近くの小さな丘の上。三人で一緒に寝そべるのにちょうど良い大きさの平べったい岩。走れば走るほど、そこにふたりがいるという予感がハナの中で強くなった。強くなった分、誰もいない天文台を見た時の失望も大きかった。
次は、どこを探せば良い?
それとも、この天文台で、ふたりが来るのを待つべきか?
何時間も走り詰めで、膝と足首、それに足の裏がズキズキと痛かった。ハナは、三人分のスペースにひとりで寝転がった。陽は西の空に傾き、岩山から伸びる黒い影がハナの体のすぐ近くにまで来ていた。宇宙船D-227は、空に吸い込まれたように消え、既に光の点すら見えない。
あの宇宙船、操縦していたのは誰だろう。
ハナはまた同じことを考える。
ハク・ヴェリチェリか。消去法で考えれば、あれはハク・ヴェリチェリだ。他に選択肢が無い。
では、レイジはハクと一緒に行ったのだろうか。
宴の席で、レイジとハクは仲が良さそうに見えた。あのふたりは、特別な関係なのだろうか。いや、それは無い。ハクはハムダル・ピュアで、しかも大統領のひとり娘で、しかも全ピュアの中で最も高いスコアの持ち主なのだ。いや、もし本当に恋をしていたのなら、そんなことは関係無いのかもしれない。人を恋する気持ちは、理性で消すことが出来ない。それは、ハナ自身が良く知っている。恋する気持ちは、理性では消せない。理性で出来ることは、せいぜい、その気持ちを口に出さずに我慢するくらいのことだ。黙ってさえいれば、友情は保てる。レイジはハクを好きだ。そういう気がした。いや、冷静になれ。仮にふたりがそういう関係だったとしても、あのレイジが、故郷の仲間に一言の挨拶もなく、逃げるように去ったりするだろうか?
それに、ヤンは?
レイジだけでなく、なぜヤンまでいなくなった?
あの宇宙船をハク・ヴェリチェリが操縦していたとして……繰り返しになるが、他に選択肢が無い……ということは、あのふたつの死体を作ったのも、消去法で考えるとハク・ヴェリチェリということになる。残りの人間は……ヤン以外は……あの時、自分と一緒に祠の中に入っていたからだ。自分が祠の中に入っている間に、ハク・ヴェリチェリがふたりの男を殺し、ヤンを誘拐し、宇宙船まで走って戻り、ちょうど宇宙船の修理を終えたレイジと一緒に三人で宇宙に飛び立った? いや、有り得ない。そもそも、自分にすらキツいこの長距離を、都会育ちのハクが走って戻れるとは思えない。そうだ。それも謎なのだ。あの宇宙船をハク・ヴェリチェリが操縦していたとして……繰り返しになるが、他に選択肢が無い……それとも、密かにもうひとりパイロットがいたのか?……彼女はどうやって宇宙船に戻った?
わからない。
わからないことだらけだ。
そもそも、このドーの星で、どうして殺人が起きるのか。誰が、何のために、人の命を奪おうなどと考えるのか。
何ひとつ謎が解けることなく、先に日が落ちた。レイジもヤンも、天文台には現れなかった。ハナはのろのろと起き上がると、丘を下ってヤンの住む集落へ向かった。途中、クロイとマルに出会った。集落のみんなもずっと、ヤンとレイジを探しているのだという。が、見つからない。
集落の広場には、簡易テントが建てられていて、そこに、死体がふたつ、安置されていた。
「嫌だと思うが、一応、確認しろ」
そう、オオノキから言われた。頷き、ダダルの毛で織った布をめくる。死体。どちらも、ハナが「聖なる祠」の前で見たものだ。
死体のひとつは、宇宙船D-227の機長、キャプ・ヴァイス。
死体のもうひとつは、宇宙船D-227の乗客、リッチ・カーオ。
誰かが、ふたりの顔の脇に、黄色と紫の花を飾っていた。
「他の客人は行方不明だ。それとヤンも」
そうオオノキは言った。客人たちの荷物は、すべて、集落に残されたままだという。
「そういえば、リッチさんのライフルはどこだろう……」
ハナは、彼が自慢げに振り回していたライフルのことを思い出した。
「彼、『聖なる祠』にまで、そのライフルを持ってきてましたよ?」
「ライフル……いや、俺たちが祠に着いた時には、それは無かった」
「きちんと探しました?」
「もちろんだ。マリフからの指示に従って、半径100メード四方をみんなでくまなく探した。ライフルは無かった」
では、誰かが持ち去ったのだ。
ライフルでキャプとリッチを殺害し、そして、持ち去ったのだろう。
なぜ、そんなことを?
誰が、何のために、そんな残虐なことを?
不快な疲労感に塗れた状態で、ハナは簡易テントを出た。その夜も気持ちよく空は晴れていて、満天の星が瞬いていた。しかし、ハナはもう、上を向くことすら億劫だった。いつもなら30分ほどで歩く距離を、その夜、ハナは倍の時間をかけて歩いた。
涙が出てくる。
事件のショックと、不安と、悲しみと、そして寂しさと。
涙が、とめどなく出てくる。
ハナの集落の入り口には、母のムル・ドーが立っていた。
「何があったの?」
それが母の第一声だった。ハナは何と答えて良いかわからなかった。帰り際、オオノキから、「事件のことは、マリフと、ハムダルからやってくるだろう捜査官以外には、何も話してはいけない。そう、マニュアルに書かれているそうだ。わかったな?」と言われていた。
「明日、話すよ。ちょっと、今、混乱していて」
それだけ言うと、涙を拭きながらハナは自分の家に入った。ムルはとても心配そうだったが、家の中まではついて来なかった。もし付いてきたら、強引に、それこそ力づくで追い出さなければならないところだった。
まだ、灯りを点ける前の暗い部屋。
その片隅の、より闇の深いところから、男の声が響いた。
「ハナさん。ずいぶん遅かったね」
男の顔は見えない。でも、誰なのかはわかっている。
窓から入る月の光が、男の手にある銃口をわずかに照らしていた。リッチが持っていたライフルとはまるで違う。最新でとても小型のレーザー銃。
「ヤンとレイジを探してたんだ」
正直にハナは答える。
「そうなんだ」
「ふたりとも、どこにもいないんだ」
そう言うだけで、また涙が出そうになる。
「そうなんだ」
男は、ヤンとレイジの行方には、あまり興味が無いようだった。
「あんた、あのふたりも殺したのか?」
「え?」
「彼女を祠で殺したように、レイジとヤンのことも殺したのか?」
「まさか! そんなことが不可能なのは、一緒にいた君が一番良く知っているはずだろう?」
そう言うと男は銃を下ろし、部屋のランプに火を点けた。そして、柔らかな微笑みを浮かべながら言った。
「とにかく、ぼくたちは仲良くしよう。キャプとリッチのことは知らない。でも、もうひとつの殺人については、ぼくと君は共犯者みたいなものだからね」