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プロローグ

赤道付近にある簡易宇宙港に、ひとりの男がやってきた。

宇宙港の管理責任者であるファロー大尉は、ひとつしかない小さなロビーでその男を出迎えた。男は大尉を見つけると軽く会釈をし、それから鉄製のベンチしか置いていないロビーを見回して、

「入星審査のゲートとか、手荷物のスキャン・システムとかは無いのですか?」

と尋ねた。

「ありませんね。そもそも、この星に来たいという奇特な人は滅多にいませんから。私の知る限り、この10年であなたが初めてです」

大尉の言葉を聞くと、男は小さく肩をすくめ、

「私も、来たくて来たわけじゃないんですよ」

と、悲しげな笑みを浮かべながら言った。

「ただ、私は、知らなければならないんです。知らなければ、前に進めない。そういう呪いをかけられてしまったみたいでして」

「なるほど」

ファローは男の言うことがよく理解できなかったが、自分からあれこれ質問をするのは控えた。

「では、あなたの旅が有意義なものになるよう、私も祈ることにいたしましょう」

ファローは、ロビーの外に停めてあるひとり乗りの氷雪面専用バギーまで男を案内した。

「どうぞお乗りください。タイヤが特殊なだけで、運転方法は普通のバギーと同じです」

男は乗った。

「目的地までナビゲーションが誘導します。現地に着いたら、このカードをかざしてロックを解除してください」

そう言って、ファローはカードを男に手渡した。

「ビジター用カード」

男は、カードの表面の文字を声に出して読んだ。そして、

「なるほど。確かに私はビジターだ。いや、『この星でビジターだ』と言うべきかな」

と、わざわざ言い直した。ファローは彼が何に拘っているのか理解できなかったが、やはり質問はしなかった。

「では、お気をつけて」

ファローがそう言うと、男はグイッとアクセルを踏み込んだ。

男はひとり、北に向かって1キロメードほど移動をした。

その惑星には「色彩」というものが無かった。

空はぶ厚い灰色の雲に覆われていて、どこにも切れ目が無い。地面もぶ厚く濁った灰色の氷雪で覆われていて、どこにも切れ目が無い。夏でも気温は氷点下40度までしか上がらず、冬にはそれが氷点下130度以下まで下がる。風はほとんど吹かず、そのせいで景色の変化というものが無い。

音も無い。

その無音のモノクロームの景色の中を走っていると、まるで、時間という概念が、人間のただの勘違いのように男には思えてきた……

と、唐突にナビゲーションが告げた。

「目的地に到着しました」

同時に、氷雪の下からメードメードの漆黒の立方体が迫り上がる。男はバギーを降りると、その立方体に向けてカードをかざした。

正面のドアがスルスルと開く。

それは、エレベーターだった。

乗り込む。

内部にはコントロール・パネルも、階数表示も、非常ボタンも無く、よく磨かれた銀色の壁が、オレンジの室内灯をただキラキラと反射させていた。

この星に駐留している兵士はファロー大尉ひとりのはず。では、このエレベーターの壁は、誰が磨いているのだろう……そんなことを男は考えた。

ドアが閉まる。

体が一瞬、軽くなったような気がした。かなりの高速で地下に降りているのだろう。何メードくらいだろうか。10秒ほどの降下を経て、エレベーターは停止した。

開いたドアの先が、そのまま目的地だった。

正面に、老婆がひとり、いた。

両手首と両足首に、古風な太い鈍色にびいろの鎖。その鎖で壁に繋がれたまま、老婆はペタンと銀色の床に座っていた。エレベーターのドアが開いた気配は感じているだろうに、顔を上げようともしない。男は老婆の側に行こうとしたが、ドアを塞ぐように透明の硬化ガラスが設置されていて、男はエレベーターから降りることが出来なかった。

「ママ!」

男は老婆に声をかける。

と、老婆の返事より早く、地下空間全体にコンピュータ音声が流れた。

「面会時間は分です」

「いやいや、待ってくれ。彼女の話を聞くために、俺は気が遠くなるほど遠い距離を旅してきたんだ。とてもじゃないが分では済まない」

コンピュータは同じ言葉をもう一度繰り返した。

「面会時間は分です」

男は再び老婆のほうに向き直った。

「ママ! 俺だよ! わかるだろう? さあ、顔をあげて俺を見てくれ」

老婆はやはり顔を上げなかった。そのかわり、クックックッと小さな声で笑った。

「気安くママなんて呼ぶんじゃないよ。アタシには娘はたくさんいたけど、息子はひとりもいないんだ。男ってやつは、普段は威張っているくせに、いざって時には何の役にも立たないポンコツばかりだからね」

男は、硬化ガラスを叩きながら叫んだ。

「ママ! 俺は本当のことが知りたいんだ! 真実ってやつだよ。俺は、彼女の真実を知りたいんだ!」

「見返りはなんだい?」

「見返り?」

「当たり前じゃないか。見返りも無しに、アタシに昔を思い出させようって言うのかい?」

そう言うと、老婆はひとつ、くしゃみをした。それから大儀そうに体を起こし、背中を壁に預けて天井を見上げた。

「アタシはね。つまらないことは綺麗さっぱり忘れることにしてるんだよ。今となっちゃ、私が覚えているのは三人の女のことだけだ。

ひとりは、アタシが殺そうとした女であり、

ひとりは、アタシを殺そうとした女であり、

ひとりは、その両方だった。

ひとりは、ピュアであり、

ひとりは、ビジターであり、

ひとりは、その両方だった。

三人とも、心に異なる正義を持っていて、そしてあの時、世界の運命はその三人の女の手に握られていた」

そこまで言うと、ようやく老婆は、男の顔を見た。

「で、あんたが知りたい真実ってのは、どの女のことだい?」