「だからさ、6。よく見ろよ!」
片方の少年が、空を指さして言った。
「なんでこの星がいつも嵐かって言うと、あっちの昼からの熱と、こっちの夜からの冷気が、ちょうど俺たちの真上でぶつかるからなんだよ」
言いながら、少年は、上空に線を引くように人差し指を移動させる。そして、
「わかる?」
と、もう一人の少年の目を覗き込んだ。
「3はさあ」
6と呼ばれた少年は、声変りが始まったばかりの掠れ声で言う。
「そういうことばっかり覚えて何か楽しいのか?」
3は大袈裟に驚く。
「え? 知らないより知ってる方が楽しくないか?」
6は肩をすくめる。
「別に。全然。知ってても腹は膨れないし」
少年はふたりとも、痩せた身体に褐色の肌。伸ばしっぱなしの黒髪を後ろにひとつで結わえている。
「ちなみに、熱いのと寒いのがぶつかるとなんで嵐になるかはわかるか?」
そう3が言う。
「興味無い」
6はすげなく答える。
「おいおい。自分の星の話なんだぞ?」
3は口を尖らせ、6はまた肩をすくめて空を見る。ふたりの遥か頭上を、ほの暗い赤いライトが点滅しながら横切っていく。
(あれは、宇宙探査ドローンの航行信号だ)
それは、前に6が3から教わった知識だった。外殻に放熱フィン。表面を覆う薄いソーラーパネル。その宇宙ドローンが撮影した写真を、6は一度だけ見たことがある。捨てられた雑誌の中にあったカラーグラビアのページで。
「惑星探査シリーズ 第2018回 オンダナ星系第1惑星ガルド」
最初に、白く焼けただれた灼熱の大地の写真。
次のページには、夜の闇の底に沈む氷の大陸の写真。
更にめくると、次は見開きの大写真。濃灰色の雲の中に、青白い稲妻が何十本も同時に走り、その光の走る先に、焦茶色の土と、そこに張り付くように建てられた小さな町々がある。
ガルド星は、その誕生の時から恒星オンダナの強い重力にがっちりとロックされており、自転をしていない。なので、昼の場所はずっと昼。夜の場所はずっと夜だ。そのせいで、オンダナ側の昼は常に灼熱地獄であり、反対側の夜は、極限まで温度の低下した凍てつく荒野だった。そして、その灼熱と極寒の境目である僅かな部分にだけ、生命がしがみつける土地がある。
「熱い空気は軽いんだ。で、冷たい空気は重い。熱い空気が夜にぶつかると、冷えて下に降りようとするし、冷たい空気が昼にぶつかると、熱くなって上に登ろうとする。そうするとこうやって、ぐるぐるぐるぐるっていう動きが出来て、それがつまり、この星の止まない嵐なわけさ。わかったか? チビ6」
3の長い黒髪は強風に乱され、彼の大きな両目は、その向こうで見えたり隠れたりしている。
「3だってチビじゃないか」
6はチビという言葉に抗議する。3は6のそれは無視し、ひび割れたコンクリの隙間に落ちていた枯れ枝を拾い、それを振り回しながらこんなことを言う
「6、おまえ、字は覚えたのか?」
「だから、それも腹が膨れねえだろ? 字なんか覚えたって」
「おまえは、腹でしか物が考えられねーのか?」
「腹が減ってる間は、腹のことが一番大事だろ?」
「本当にチビ6はしょうがねえなあ。7も8も9も、もう自分の名前くらいは書けるようになって」
3の言葉を6は手を挙げて遮った。
「俺は6だ。ただの6。他に名前なんてない」
「あれ。そうだったっけ」
3は少しだけ(しまったな)という表情をする。
「4の話とごっちゃになってたかも」
「多分な」
「でもさあ。名前はともかく、字は覚えといた方が良いぞ?」
「どうして」
「どうしてって。覚えといた方が、盗みに入る時にもいろんな情報が手に入るし、そのブツが金目のものかそうじゃないのかも、分かるようになるし、失敗して逃げるときだって、字が読めると、どこに隠れるのが安全かのヒントが手に入ることだってあるんだぞ?」
3は良いやつだ。6はそう思う。
3はうるさいやつだ。6はそうも思う。
3と6は、ガルド星の地熱発電所跡で暮らす孤児仲間だった。少年たちは、名前を捨てることで過去を捨てる。6は、少し前まで9だった。しかし、自分より上の数字の少年が3人いなくなり、6になった。次、誰かがいなくなると、6は4になる。5ではない。なぜなら、彼らの中で、5番は永久欠番という決まりになっているからだ。
そうこうしているうちに、3と6は、地下通路の入り口に着いた。入る。降りる。また這い上がる。と、そこはもう、目指すゴミ山の目の前である。夜方向から昼方向に5キロメード移動しただけで、この星では、気温が氷点下のマイナス15度からプラス20度まで上がる。3と6は、色褪せた皮の上着を脱ぎ、擦り切れて穴が何ヶ所も開いているシャツの前ボタンを全部外した。背丈より高く積まれたゴミの斜面を少しずつ崩しながら、銅線の束や鉄のパイプや空き缶などを、持参した布袋に放り込み始める。
と、突然、3が叫んだ。
「うわ! トランシーバーだ!」
(トランシーバー!)
それは3にとっても6にとっても、特別なお宝だった。特別で、ある意味、忌むべきお宝だった。
「6! これ、トランシーバーの片っぽだ!」
3が声を震わせる。痩せた右手の中で、銀色のトランシーバーが鈍く光っている。6は自分の布袋を放り投げ、3へ駆け寄った。
「そんなもの、捨てちまえ」
「バカヤロウ。トランシーバーだぞ! もう片っぽを今日こそ探そうぜ!」
「バカはおまえだよ、3! ここの宝探しは5分までって決めただろ?」
「でも、まだあと1分ある!」
「あと1分しか無いんだよ!」
「でもトランシーバーは二つないと役に立たないだろ?」
「おい! 5がどうなったのか忘れたのか?」
6は、3の両肩を掴んで強く揺すった。だが、3は6の両手を振り払うと、ゴミ山を再び掻き回し始めた。3は3で、機会があれば5の無念を晴らしたいと思っていたのだ。そのことは、6にも痛いほどわかっていた。
あれは、ちょうど1年くらい前だった。
5は、グループで一番の年長で、とても仲間の面倒見の良いやつだった。ねぐらに穴を開けて風通しを良くした。手洗いと食器の煮沸を仲間に徹底させて、それで病人の数を劇的に減らした。
ある日、当時の7がこんなことを言い出した。
「トランシーバーがあればさ、仕事、もっと安全にやれんじゃないかな」
あの頃も今も、少年たちの一番のビジネスは盗みだった。見張り役と実行役の連携には、トランシーバーが最高だ。でも、高い。とても高い。ガルド・ネイティブのストリート・チルドレンたちに買えるような代物ではなかった。
「実は、この前、大人たちがこそっと話してるのを立ち聞きしたんだけどさ」
7は少し声を顰めて、話の核心に入っていく。
「黄昏帯のど真ん中に居座ってるあいつら……最新式じゃなくなったトランシーバー、まだ使えるやつでも平気で捨てるらしいぜ」
「ええっ!」
7の言葉に、他の少年たちが一斉にどよめいた。
「トランシーバーを、す、捨てる?」
「まだ使えるやつを?」
「ああ」
7は頷く。
「だからさ、俺、今度、やつらのゴミ山を漁ってみようかなって。侵略者どもは金持ちだからさ。あいつらにはゴミでも、俺たちには宝の山だったりするんじゃねえかなって」
その時、最初に反対したのが5だった。
「ちょっと待て。あそこは武装した警備員がいるところだろ? 危な過ぎるって」
「でも一回の冒険で後々の仕事がすごく安全になるなら、やる価値はあるんじゃね?」
そう7は反論した。
「それに、居住区のメイン通りとかに行くんじゃなくて、地区の一番隅っこのゴミ山だぜ? あいつらだってそんなところ、厳重な警備はしてないだろ? そもそも要らねえって言って捨てたもんの山なんだからさ」
つい最近まで、ガルド星は他の星からは見向きもされないような貧乏な星だった。特異な環境がもたらす異様な景色を見に、物好きな金持ち観光客がたまに来る程度の星。その状況が一変したのは、6が生まれるほんの数年前。ハムダル星から来た資源調査隊が、この星の凍土側にとある貴重な物質が埋蔵されている可能性あり、との報告書を出してからだという。大規模な開発団がやってきた。 彼らは資金力に物を言わせて、黄昏帯の中央、人間の住環境に最も適した土地に自分たちの居住区を作り、原星民は夜側に押しやられたのだった。
少年たちの話し合いで、慎重派は5だけだった。結局、逃げ足の速い順に上から5人が、開発団の居住区に侵入することになった。
2、4、5、7、9。
5は仲間内で一番足が速かったので、話し合いの間は唯一の慎重派だったが、多数決で侵入が決定となった後は、自分もメンバーに入ると言って譲らなかった。翌日……と言っても、ガルドの星には昼も夜も無いので「翌日」というのはあくまでハムダル星から押し付けられた「時刻」という概念でしかなかったが……少年たちは一度睡眠を取って体力を回復させてから、開発団の居住区へと向かった。
(あの頃の俺たちは知らなかった。開発反対派がハムダル開発団にテロ行為を予告したこと。それを警戒して、開発団が、無人の警備ドローン・システムを導入することにしたこと。そして、居住区の外れ、まさにあのゴミ山のあたりで、テスト運用を始めていたこと……)
ゴミ山の頂上付近で、 7がトランシーバーの片方を発見した。
「もう片っぽも絶対この近くにあるぞ!」
全員が興奮して、ゴミ山を必死に掻き回し始めた。そして、気がついた時には、上空に警備ドローンが現れていた。いや、あの時は、警備ドローンというものも知らなかった。空中に浮かぶ不気味な球体が、自分たちの方向に音もなく進んでくるのを見て、少年たちは本能的に逃げ出した。 7以外。7はトランシーバーのもう片方を探すのに固執していて、ドローンに気づくのか、一人だけ遅れてしまった。
球体の表面に、赤いライトが浮かび、規則正しい点滅を始めた。
「識別番号をどうぞ」
それがコンピュータの音声であることは少年たちにも分かった。
「そんなものねえよ」
掠れた声で7が答える。
「エラー。識別番号をどうぞ」
またドローンが言う。
「だからねえって」
7の声に、苛立ちが混じる。
「エラー。次もエラーだった場合、あなたを侵入者と判断して攻撃するよう私はプログラムされています」
そして、点滅する赤い点が大きくなった。
「識別番号をどうぞ」
その瞬間、緊張と恐怖で、7はキレた。
「ふざけんな!」
7は叫んだ。
「ここは元々俺たちの星だぞ! 侵入者はてめえらの方だろうが! 撃てるもんなら撃ってみろ!」
「バカ! 止せ!」
5が叫びながら飛び出した。7を救おうとして。5は、落ちていた鉄屑をドローンに向かって投げた。その直後、5はドローンからのレーザー光で胸を撃ち抜かれて死んだ。それを見た7は両手を上げて投降した。手にトランシーバーの片方を持ったまま。おそらく、そのまま逮捕されたのだろう。あれ以来、彼を見たことはない。2と4と9は走って逃げたが、2は地下道に逃げ込む寸前に、もう一機のドローンに追いつかれて撃たれた。
グループから3人が消え、4は3になり、9は6に数字が繰り上がった。
「こ、これだろ!」
3が叫んだ。そして、ゴミ山から、先ほどのトランシーバーと同じ色と形のものをもう一つ、右手でしっかりと掴んで引き抜いた。
「やったぜ! ふたつ揃った! ざまあみやがれ!」
3は涙を流していた。6も胸が熱くなるのを感じた。だが、感傷に浸っている暇は無い。警備ドローンに見つかったら元も子もないのだ。
「逃げるぞ!」
言いながら、ゴミ山の斜面を駈け落ちる。そして、百メードほど夜側に立っている錆びた鉄塔の下に走る。実は、この鉄塔の下には、下水道に繋がる排水用の穴がある。大人は無理でも、少年たちはギリギリここを通れるのだった。
「一個、頼む」
3が、トランシーバーを一つ渡してくる。それを6はギュッと握り締める。手動で蓋を開け、滑り台のように暗闇の中を地下に向かって滑るように降りた。
と、その時だった。
地下通路の更に下、地底湖の方角から、ズゥンという爆発音が聞こえてきた。
「何だ!? 今の音は!」
3が言った。
顔が、強張っている。
「地底湖の方からだ」
6も声を潜めた。
彼らのねぐらは、この先にある地底湖の、更にその先だ。
絶えることのない強風対策として、地上高はわずか3メードしかない、灰色の地熱発電所跡。6たちは、その地下の5階部分で暮らしている。配管の名残が食い込んだ壁面。太いパイプや電線の残骸が蜘蛛の巣のようにぶら下がった天井。白茶けた帆布を敷き、快適ではないもののかろうじて素足で歩けるように工夫したコンクリートの床。そんな環境で、彼らは身を寄せ合って暮らしている。
「どうする?」
3が訊く。
「どうするって……行くしかないだろう」
6が答える。
ねぐらに帰るには、このまま地下を進むか、地上に戻って氷の上を5キロメード歩くしかない。3の布靴には大きな穴があり、親指が飛び出ている。6の布靴も似たようなものだ。地上をずっと夜に向かって歩けば、凍傷で指を切り落とすことになる。
ふたりは、爆発音の方向に、そろそろと進み始めた。
地熱ポンプ路。
圧力逃がし路。
換気路。
非常時のバイパス配管路。
迷子にならないよう暗記したさまざまな「路」。それぞれが何の役に立っていたのかは6は知らない。外気とは異質の、不快な湿気。酸味を感じさせる臭気。
道の分かれ道には、6たちの仲間しかわからない目印が刻まれている。顔も知らない昔の1と2が付けてくれた印。それがまだ役に立っている。印を確認しながら3と6は進む。慎重に、耳をそば立てながら。
やがて、淡い青色の地底湖が現れた。天井から滴る水滴が、一定のテンポで、完全な円形の輪を水面に静かに広げている。
ピチョン。
ピチョン。
ピチョン。
水滴の音などごくわずかなはずだが、この空間は、 音を何倍にも美しく反響させる。まるで楽器だ。
ピチョン。
ピチョン。
ピチョン。
「誰か、いる」
3が、囁くように言った。ほぼ同時に、6も小声で言った。
「誰か、来る」
地底湖から、夜側に真っ直ぐ行けば地熱発電所跡。
地底湖から、昼側に戻ると、一本道で、開発団居住区。
地底湖から、居住区を背にして右側に行くと、途中で事業継続が放棄され、掘削途中のままになっている縦穴で行き止まり。
そして、地底湖から、居住区を背にして左側に行けば、すぐに更に地下に降りる階段があり、その先には「迷宮」と呼ばれる地下通路が広がっている。この迷宮がどれぐらいの広さなのか? 出口はあるのか? それは、少年たちも知らなかった。分かっていることは、迷宮の奥で迷えば、もう二度と戻って来れないということだけだった。
3が見つけたのは、男だった。
地底湖の天井を支える大きな柱の一つに、男がぐったりともたれている。近寄る。巻いた黒髪と褐色の肌。ハムダル人ではない。ガルドの星の民だ。
(レジスタンス、だろうな……)
空気が不自然に揺れているのを6は感じる。この地下のどこかに、このレジスタンスを追っている人間たちもいるのだろう。この地下空間では、音がやたらと反響してしまうせいで、気配は感じても方向はわからない。「来る」と最初は思ったが、すぐに6は自信が無くなった。ただ、自分たちも開発団の居住区に不法侵入をしてきた直後なので、警察関係者と遭遇するのは避けたかった。
(見捨てて行っちまおう……)
そう思った。以前なら迷わずそうしたはずだ。が、今は、6はそういう行動が苦手になっていた。
(ここに5がいたら、助けようとかするんだろうな……)
そう思ってしまうからだ。
3も同じらしい。二人で、男に近寄ってみる。男の息は荒い。額には汗。背中に大きな影が張り付いているように見えた。目がうつろだ。
(こういう目を俺は知っている。もうすぐ死ぬ人間の目だ……)
用心しながら、更に近寄る。彼が死ぬ理由はすぐにわかった。大きな影に見えたものは、血で出来た大きなシミだった。そのシミの真ん中に、金属の破片がふたつ刺さっている。
(手榴弾を投げられた側だろうか……それとも、自分で投げた手榴弾で自分も怪我をしたというオチか……)
男が口をパクパクとさせる。3と6は、彼の両側にしゃがみ込んだ。今ここで二人にできることは、男の最期の言葉を聞いてやることぐらいだったからだ。
「娘が……入ってしまった……」
「え?」
「迷宮に……助けてくれ……娘は、何も知らないんだ……まだ、たったの八つなんだ……」
「ちょっと待てよ。何がどうなってるんだよ」
少し、3の声が大きくなった。
「大きな声を出すな。やつらが来る」
「やつら?」
「矛だ」
「……」
(予想通りだ。この男はレジスタンスで、俺たちのテリトリーであるこの地下に、厄介事を持ち込みやがった……)
苦々しく思ったが、6はそれを口に出さなかった。なぜなら、目の前の男はもう死ぬからだ。
「俺は、もう歩けない。頼む……娘を……」
それが最後の言葉だった。呼吸が止まり、目からは最後の微かな光が失われた。3が6を見た。
「どうする?」
「……どうしよう」
迷宮に入ってからまだ時間が経っていないのであれば、3と協力すれば連れ戻すことはできるかもしれない。もちろん、入口付近では見つからないかもしれない。そして、無理をして進めば、見つけたときは既に奥過ぎて自分自身も戻って来られない。
(ここで、迷宮に入るのはバカだ)
それはきちんと理解していた。「矛」というのはハムダルの兵士たちのことで、ガルド星府が作っている警察よりはるかに危険で厄介な連中だ。それも知っていた。男はもう死んでしまったのだから、3も6も、さっさと立ち上がって自分たちのアジトに帰るべきだ。そう思ったし、以前なら迷わずそうしたはずだ。だが、今はその決断が出来なかった。
(これで死ぬことになったら、5、恨むぞ……)
そんなことを思いながら、6は居住区を背にして左側……迷宮へと繋がる階段の入り口を見た。
「30メードだ」
3が言った。
「入り口から30メードだけは、探してやろう。それ以上はダメだ。わかったな?」
6は苦々しげにうなづき、言った。
「俺も今、同じことを言おうと思ってたよ」
ふたりは立ち上がり、迷宮へと向かった。


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