第二章 2 大統領の演説

「ハムダル星は、三年と二ヶ月後に消滅します」

そう、聴衆に告げてから、サラは再び沈黙した。集まった8万超の聴衆たちも、大統領からの意外な言葉にどう反応して良いか判らず、ただ沈黙したまま、サラの次の言葉を待った。
1秒……
2秒……
5秒……
と、サラは突然、フッと笑顔になった。少し肩をすくめ、そして演壇の脇で護衛に立っているメイをチラリと見ると、イタズラ成功と言わんばかりに白い歯を見せた。それを見て、集まったビジターたちも、少し遅れたタイミングで、ドッと笑った。
それは、おそらく、緊張の弛緩の現れとしての笑いだった。
それまで、サラ・ヴェリチェリという大統領は、どちらかと言うと「厳格な」「融通の効かない」「滅多に笑わない」というイメージを持たれていたので、この場で最初にサラがジョークを言ったり、笑顔を見せたりしたことに、聴衆たちは驚くと同時に大いに安心感を覚えたのだろう。どうやら、今日の演説は最終的には自分たちに良い話をするようだ。おそらく、皆がそう期待し、そして笑ったのだろう。
サラ・ヴェリチェリは、笑い声が収まるのを、柔和な微笑みを浮かべたまま、悠々と待った。何も急ぐ必要は無いという雰囲気で。やがて、聴衆がきちんと話を聞こうと口を閉じると、サラは改めて演説を始めた。
「ハムダル星に暮らす全ての星民の皆様。今日は、私の話を聞くために、ゼロの広場に集まってくれてありがとう。あと、仕事の手を休めて近くのモニターの前に集まってくださっている皆さんも。皆さん、今日は良い一日でしたか?」
群衆の中ほどから「イエース」と誰かが両手を上に突き上げながら叫んだ。
「イエス? それは素晴らしい」
サラは、その叫んだ聴衆に拍手をした。
「実は、私にとっても今日はとても良い日です。なぜなら、この二ヶ月もの間、計画し、検討し、計算し、修正し、再計画し、再々計画し、昼も夜も休みなく準備をし続けたとても特別なプロジェクトを、ようやく皆さんにご報告できるからです」
そう言って、サラは再び微笑んだ。
「では、ちょっと失礼して……実は、今日は、カンニング・ペーパーを持ってきたの」
サラはストゥの内ポケットから、演説の原稿らしきものを取り出した。
「ふだんは、こんなものは無しで話すのだけど……だってほら。自分の言葉できちんと話さずに、役人に下書きさせた原稿をただ読むだけの政治家って、格好悪いでしょう?」
ここでもまた、聴衆は楽しそうに笑った。メイはそれを、演壇の横から、不思議な居心地の悪さを感じながら見ていた。
「だから私も、原稿を読むだけの政治家にはならないぞってずっと思ってきたの。でも、今日は、一言の言い間違いも許されないと思っているので、自分の信念を曲げて、これを確認しつつお話しさせていただきますね」
そう言ってサラは原稿を開き、数秒、それに目を走らせた。
(でも、演説の原稿は、タブレットに入れていたのでは?)
ここに来るまでの車中のサラを思い出し、メイは不思議に思った。
聴衆は、静かに次のサラの言葉を待っている。重大な内容で、なおかつ、ビジターに良い内容となると、いよいよビジターたちにも選挙権が与えられるようになるのかもしれない。メイも、立場はビジターである。だが、メイは努めてそれは考えないようにしていた。護衛者として周囲に目を配る。それだけに集中する。他のことは、仕事が終わってから考えよう。
やがてサラは、広げた原稿をパタンと閉じた。
「そうだ。せっかくの機会なので、本題に入る前に、ひとつだけ、皆さんにお話しをさせてください」
そう言って、もう一度、政治家らしい笑顔を浮かべた。
「ハムダル星にやってきたビジターの皆さん。皆さんが、日々の生活にいろいろな不満をお持ちなのは知っています。住環境のこと。子供の教育のこと。仕事のこと。あるいは給与のこと。ハムダル・ピュアとのさまざまな区別や格差。そういうことに不満をお持ちなのは私も知っています。でも、思い出して欲しいのです。そうした小さな不満を持つ前に、実は、あなた方は、それはそれは強運で、幸せな人たちなのだということを」
サラは、聴衆をゆっくりと見回しながら言葉を続ける。
「たとえば、トラックのことを考えてみましょう。陸上を走るトラック。大陸間を飛行できるトラック。ハムダルには様々なトラックが稼働しています。トラックの運転が出来る人は、この広場にもきっとたくさんいるでしょう。でも、トラックのリニア・モーターを、あるいは水素エンジンをひとりで組み立てられる人はいますか? ああ、少しはいますね。でもほんの少しです。では、トラックの航行を自動制御するプログラムをひとりで書ける人は? ああ、もうほとんどいませんね。では、そもそもトラックを自分で発明したという人は? もちろん、いませんね。そうなんです。トラックというとても便利なものを皆さんは日々使っていますが、それは、あなた方ではない別の誰かがトラックを発明してくれて、それを改良してくれて、エンジンを組んでくれて、リニア化してくれて、自動航行までコンピューターで制御できるようにしてくれたおかげなのです。別の誰かのおかげで、皆さんは日々の便利を享受してるんです。なんて幸せなことでしょう」
サラは、ここでひとつ間を置き、にっこりと笑った。しかし、今度は聴衆は笑わなかった。楽観的な空気が急速に冷え、悲観に取って変わろうとしていた。が、サラは聴衆の気持ちを気にしていないようだった。悠然と、同じ語調で先を続けた。
「たとえば、電話のことも考えてみましょう。電話。どなたにも、とても身近なテクノロジーですよね? 皆さんはビジターですから、ハムダルとは別のどこかに、故郷の星があると思います。ハムダルとその星との距離はどのくらいですか? 電波の速度は光と一緒ですから、皆さんの星の科学力で故郷の星と電話で話そうと思ったら、一言話して、その返事が帰ってくるまでに、何年も何十年もかかってしまいます。でも実際には、この地上で話すのと同じように、普通に故郷のご両親やご親戚と会話ができる。それはなぜか。それは、あなたたちではない別の誰かが『量子もつれ』という現象を発見したからです。そして、また別の誰かが、その『量子もつれ』を通信システムに組み込む方法を発明したからです。そうした人たちが存在したおかげで、皆さんは、故郷の星と普通に電話が出来るのです。どうです。これって、とても強運で、幸せなことではないですか?」
柔和な表情。優しい声。だがそのどちらもが、メイの知るサラ・ヴェリチェリとは遠いものだった。初対面の時からそのフレンドリーさに感動し、メイにとって最大限の尊敬と親愛の情の対象であるサラ・ヴェリチェリ。そのサラ・ヴェリチェリと、今、壇上で、嘘くさい笑顔で、慇懃に恩着せがましい話をしているサラ・ヴェリチェリとが、メイには同一人物に思えなかった。聴衆も、サラの演説の意図が判らず、次第にざわつき始めていた。だが、サラは、そのざわつきを楽しんでいるようですらあった。彼女は話を続けた。
「さて。ハムダル星に暮らす全てのビジターの皆さん。皆さんがこの星にいるということは、皆さんご自身か、あるいは御先祖か、とにかく、あなた方に繋がる誰かが、私たちハムダル・ピュアの作った宇宙船に乗ったことがあるということです。現在のところ、私たちハムダル・ピュアは、この銀河で唯一、ワープ航法によって光よりも速く時空を移動することを可能にした種です。これは大切なことなのでもう一度言いますね。ワープ航法を会得した種は、現在判明している限りにおいては、ハムダル・ピュアだけです。皆さんは、なぜワープが可能なのかを知らない。どうすればワープが出来るのかも知らない。ましてや、ワープ機能を搭載した宇宙船を作ることは絶対に出来ない」
「あんたたちが、教えないからな!」
最前列にいた大学生らしきグループの一人が、そう大声で野次を飛ばした。

(あいつ、クワン・シューだ)
リクが、小声で仲間たちに言った。野次を上げたのは、リクやイェンと同じ授業を履修している同級生のようだった。
「どんなに成績が優秀でも、ビジターは宇宙航法の専門科には絶対に進ませない! これが差別でなくてなんだって言うんだ!」
クワンの野次に、シードの隣りでイェンが大きくうなづいた。

サラは、野次には全く動じなかった。そういう野次が飛ぶことを、最初から想定していたようにメイには見えた。もしかしたら、そういう野次を飛ばしてもらいたくてここまで話していたのではないだろうか。

「発明をした者が特許を取り、その発明による恩恵を最も受けるのは当然のことではないですか? しかし、私たちハムダル・ピュアは、ワープ航法の恩恵を皆さんにも開放しました。皆さんの星に宇宙港を建設し、科学を知らない遅れた種の方でも、乗船チケットさえ購入すれば、光よりも速いスピードで宇宙を旅する機会を提供しました。だから、皆さんは、この星に来ることが出来た。これを強運と言わずして何と言うべきでしょう。幸せと言わずして何と言うべきでしょう。差別だと私たちを罵り、税金はたいして納めていないのに『選挙権を寄越せ』とだけは大声で叫ぶ。私は、その前に皆さんには、ワープ航法を発明した私たちハムダル・ピュアと同じ星に暮らせているという幸せを今一度振り返っていただきたく思います」
そこまで語ると、サラは壇上に用意されていた水差しに手を伸ばし、美味しそうに飲んだ。そこまで呆気にとられたようにサラの演説を聞いていた聴衆は、この中断で我に返り、サラに罵詈雑言を叫ぶ人間が次々と現れ始めた。緊張から弛緩して楽観へ。それから困惑へ。広場の雰囲気は短時間で次々と様相を変え、今は憤怒の直前という印象をメイは受けた。
クワン・シューという学生が、再び大声を出した。
「現在のハムダル星は、我々ビジターの労働力で成り立っていますよね? ならば、あなた方が一方的に我々に恩を施しているという言い方はおかしくないですか? ビジターとハムダル・ピュアはウィン・ウィンの関係であり、上下関係はないでしょう!」
その言葉に対して、サラはまず両手を大きく広げてみせた。笑顔で。
「今までは、そうだったかもしれません」
「今までは?」
「私たちは移動手段を提供し、皆さんは労働力を提供した。ウィン・ウィン。確かにその通りです。今までは」
そして、急に真顔に戻ると、広げていた両手もストンと落とした。
「でも、残念ながらその状況はもう終わりです。正確には、もう、終わっていました。私たちが気づくのが遅れただけで」
ゼロの広場がざわつく。憤怒から、また困惑に、少しだけ雰囲気は揺り戻される。サラは、閉じていた演説原稿を再び広げた。広げる時、その内側が、メイのいる場所からはチラリと見えた。
それは、演説原稿などでは無かった。
大きな手書きの文字で、ただ一行だけ、
「勇気を出せ。サラ」
そう書かれていた。手書きの文字は、サラ自身の筆跡であるようにメイには見えた。
(勇気? どういう意味?)
メイも困惑した。いつの間にか、広場の空気にメイも飲まれていたのかもしれない。サラは、フェイクの演説原稿をじっと見つめ、それから顔を上げると、美しく赤く染まった夕焼けの空に向かって右手を掲げた。ハムダル星にとっての太陽である恒星リサ。その左斜め下に、燦然と輝く大きな星が出ている。宵の明星として知られる恒星レクトポネ。サラは、そのレクトポネを指し示した。
「恒星レクトポネが、超新星爆発を起こしました。今、西の空に輝いているのは80年前のレクトポネです。実際は、既にあの星は存在していません。私たちは、量子もつれシステムを搭載した無人探査機『ドット』からのデータで、その事実を知りました」
「……」
「現在、レクトポネから放たれたガンマ線バーストが、ハムダル星に向かっています。到達は、今から三年二ヶ月後。その瞬間……」
サラはここで、ひとつ、息を継いだ。そして、言った。
「その瞬間、この星のすべての生命は消滅します」
聴衆のざわつきが一度消え、次に大きなどよめきが起こった。最前列から十列ほど後ろにいた、別の大学生らしきグループの男子が、叫んだ。
「その話はおかしい! レクトポネは80光年も離れた場所の星だ! 光と同じ速度で進むガンマ・バーストなら、到着も80年後のはずだ! 3年後に到着するなんてあり得ない!」
サラは、その大学生をスッと指さした。
「君、名前は?」
彼は、一瞬、それに答えることを躊躇った。実名を明かすことで、今後、何らか不都合なことが起きる可能性を考えたのだろう。だが、すぐに気を取り直し、彼は答えた。
「リク・ソンムです」
「リク・ソンム君。今のは、とても良い質問です」
サラはそう言うと、チラリとメイの方を見た。その一瞬、サラがとても寂しそうに微笑みを見せたのを、メイは確かに見た。サラはすぐにリクに向き直ると、彼に最大限の共感を見せつつ、こう言った。

「実は、私もちょうど60日前、まったく同じ質問をしたのです」



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