ハムダル星。首都リグラブ。
その日、大統領をひと目見ようとゼロの広場にやって来た人間は約8万人。これは、34年前、ハムダル星の新暦1200年を祝うために星系の人気アーティストを総動員して行われた「ハムダル・メモリアル・ミュージックフェス」の10万人動員に次ぐ規模だった。
サラ・ヴェリチェリが登場すると、8万人は一斉に沈黙した。拍手は起きなかった。が、下品な野次も飛ばなかった。ハムダル星系を支配するピュア。そのピュアの長である大統領が、こうして大勢のビジターたちの前に姿を現すことは異例中の異例だった。それが良きことなのか、それとも悪いことなのか。期待と不安をないまぜにした状態で、彼ら彼女らは、とにかく、サラ・ヴェリチェリの第一声を待っていた。
サラがステージに登る。ステージの前には、大きな石のレリーフがひとつ。その前には、VIP用のセキュリティとして、淡い青色に発光するプラズマ・バリアが展開されている。このバリアは、殺傷力のある高コヒーレンス光(レーザー光)を検出すると、瞬時に局所プラズマ層を生成してそれを散逸させる。また、人間が触れれば電撃が走り、青白い火花と共に弾き飛ばされる。かつて、ビジター解放戦線を名乗る活動家が一人、このバリアに触れて昏倒した。そのニュース映像が拡散されて以来、この光の壁に触った者はいない。そのバリアから約20メード。聴衆スペースの最前列に、ハムダル宇宙大学の学生グループがいた。パラン・エフ教授が教える星間歴史学のゼミ生たち。全員がビジター。昨夜、サラ・ヴェリチェリが聖なる広場で演説をすると聞き、徹夜で場所取りをして最前列を確保したのだった。そのグループの中にひとりだけ、パランのゼミ生ではない、それどころかハムダル宇宙大学生ですらない若い女性が混じっていた。
彼女の名前は、シード・グリン。
ハムダル年で17歳。首都リグラブの街の西側を流れるハドゥン川にかかるハーデという大きな橋を渡った先にある農場のひとり娘。一年前から、父・ソイル・グリンが作った野菜をリグラブのダウンタウンのレストランやバーに配達していた。そして、その配達先のうちの一軒である多星籍料理が売りのバルの店主に声を掛けられ、週に四日、彼の店で働くようになっていた。「タング」という名のその店は、ハムダル宇宙大学の教養学部キャンパスからほど近く、酒代も料理代もとてもリーズナブルだったので、いつも多くの大学生たちの溜まり場になっていた。
昨夜。ハムダルじゅうのチャンネルが、通常の番組を中断して、サラ・ヴェリチェリの演説を発表した時。サラ専属の「盾」であるメイ・ウォンが、自分のビークルを路肩に寄せて、その臨時放送を聴いていた時。シード・グリンは、タングの厨房で、客席から回収してきた大皿たちを片端から洗食器に放り込んでいた。と、客席からの音が、突然、消えた。ガヤガヤと騒がしかった談笑が途切れ、大きめの音量で流しているはずのBGMも聞こえない。代わりに、
「ハムダル星とその衛星に住むすべての星民の皆さま。こんばんは」
という、女性の声が聞こえてきた。
強い違和感を感じて、シードは仕事を中断してフロアの方に顔を出した。と、店の壁の大型ディスプレイに……いつもはそこでは、山奥を流れる美しい川や、荒野を走る野生の動物や、夕焼けに染まる海や、その海の中を泳ぐ魚たちの映像などを無音で流しているのだが……そこに、政府関係者と思しき女性がひとり、簡素なスタジオで原稿を読んでいるのが映っていた。
「明日の16時30分。ゼロの広場にて、サラ・ヴェリチェリ大統領が、ハムダル星のこれからについて皆さまに重大な発表を行います。お時間のある方は、ピュアの皆さまも、ビジターの皆さまも、ゼロの広場に足をお運びください。それが難しい方は、大統領演説の中継をご覧ください。当日、すべてのチャンネルがサラ・ヴェリチェリ大統領の演説中継に切り替わります。これはとても異例なことですが、それだけ重大な発表なのだとご理解ください。ご静聴、ありがとうございました』
女性が頭を下げる。
次の瞬間、映像はパチンと消えた。ディスプレイは、何事もなかったかのように、雨の森の映像を再開し、店のスピーカーからは、ポリメトリックなビートが効いたワギィという惑星の音楽がフェード・インで戻ってきた。が、客たちは、臨時放送が終わった後も、この突如の大ニュースをどう捉えるべきか戸惑っているようだった。
その日、店のフロア係は、イェン・ダナだった。彼女は宇宙大学の三年生だったが、故郷の星からの仕送りでは生活できないので、夜はこの店でアルバイトをしていた。
「ねえ、イェン。今の放送、なんだったの?」
シードは小声で訊いてみた。
「私にもよくわかんない。でも、とにかく、明日、なんか重大な発表をするらしいよ」
「大統領が?」
「そう。あの、二ヶ月も失踪同然だった大統領が」
「わざわざ、ゼロの広場で?」
「そう。もったいぶらずに今の放送で言えば済む話なのに、わざわざ明日、ゼロの広場で発表するんだって」
「へええ」
と、客としてやってきていたリク・ソンムとラット・オル・オルルが、ふたりの会話に割って入ってきた。
「これは、絶対行くしかないよな」
「超最優先イベントだよ。間違いないよ」
リクもラットも宇宙大学生。イェンと同じパラン・ゼミの仲間であり、そしてリクの方はおそらくイェンの恋人だ。
「行くって明日? 激混みだと思うよ?」
イェンがそう言うと、リクは少し声を落とし、
「冷静に考えてみろよ。サラ・ヴェリチェリがビジターの前で演説するなんて、大統領就任式以来だろ? ということはつまり、明日の話は、俺たちビジターに向けての重大発表だってことだよ」
「私たちに向けての重大発表? え、まさか……」
イェンの表情がパッと明るくなった。
「そうだよ。その『まさか』の可能性、あるんじゃないかな」
リクがギュッとイェンの手を握りながら言った。
イェンとリクとラットは、大学のゼミとはまた別に、週に一回、とあるデモ活動に参加をしていた。始めて、もう半年近くになる。
『ビジターにも選挙権を!』
ハムダルでは、選挙権がピュアにしかない。なので政治家は、ピュアたちに受けの良い政策しか実行しない。しかし、ハムダル星府が、経済的な理由から「移民の積極的受け入れ」を開始して400年超、ハムダル星ではひたすら移民が増え続け、今や人口の99パーセントはビジターなのである。ただし富については真逆で、ハムダルの金融資産の99パーセントはピュアが保有している。その格差、不均衡、富の偏在への不満から、この100年ほどは、十数年に一度くらいの、ビジターの学生たちを中心に大きなデモが起きていた。その都度、ピュアたちは多少の譲歩をしてビジターの権利を申し訳程度に増やす。だが、選挙権だけは、頑として譲らなかった。リクやイェンたちは、その分厚い壁を破ることを夢見ている。ビジターにも選挙権が与えられれば、そこから劇的に社会は変革すると彼ら彼女らは思っている。貧困は減り、差別も減り、治安は向上し、より多くの人が幸せな人生を送れる。そう彼ら彼女らは信じていた。

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