ハムダル星。首都リグラブ。
その日、大統領をひと目見ようとゼロの広場にやって来た人間は約8万人。これは、34年前、ハムダル星の新暦1200年を祝うために星系の人気アーティストを総動員して行われた「ハムダル・メモリアル・ミュージックフェス」の10万人動員に次ぐ規模だった。
サラ・ヴェリチェリが登場すると、8万人は一斉に沈黙した。拍手は起きなかった。が、下品な野次も飛ばなかった。ハムダル星系を支配するピュア。そのピュアの長である大統領が、こうして大勢のビジターたちの前に姿を現すことは異例中の異例だった。それが良きことなのか、それとも悪いことなのか。期待と不安をないまぜにした状態で、彼ら彼女らは、とにかく、サラ・ヴェリチェリの第一声を待っていた。
サラがステージに登る。ステージの前には、大きな石のレリーフがひとつ。その前には、VIP用のセキュリティとして、淡い青色に発光するプラズマ・バリアが展開されている。このバリアは、殺傷力のある高コヒーレンス光(レーザー光)を検出すると、瞬時に局所プラズマ層を生成してそれを散逸させる。また、人間が触れれば電撃が走り、青白い火花と共に弾き飛ばされる。かつて、ビジター解放戦線を名乗る活動家が一人、このバリアに触れて昏倒した。そのニュース映像が拡散されて以来、この光の壁に触った者はいない。そのバリアから約20メード。聴衆スペースの最前列に、ハムダル宇宙大学の学生グループがいた。パラン・エフ教授が教える星間歴史学のゼミ生たち。全員がビジター。昨夜、サラ・ヴェリチェリが聖なる広場で演説をすると聞き、徹夜で場所取りをして最前列を確保したのだった。そのグループの中にひとりだけ、パランのゼミ生ではない、それどころかハムダル宇宙大学生ですらない若い女性が混じっていた。
彼女の名前は、シード・グリン。
ハムダル年で17歳。首都リグラブの街の西側を流れるハドゥン川にかかるハーデという大きな橋を渡った先にある農場のひとり娘。一年前から、父・ソイル・グリンが作った野菜をリグラブのダウンタウンのレストランやバーに配達していた。そして、その配達先のうちの一軒である多星籍料理が売りのバルの店主に声を掛けられ、週に四日、彼の店で働くようになっていた。「タング」という名のその店は、ハムダル宇宙大学の教養学部キャンパスからほど近く、酒代も料理代もとてもリーズナブルだったので、いつも多くの大学生たちの溜まり場になっていた。
昨夜。ハムダルじゅうのチャンネルが、通常の番組を中断して、サラ・ヴェリチェリの演説を発表した時。サラ専属の「盾」であるメイ・ウォンが、自分のビークルを路肩に寄せて、その臨時放送を聴いていた時。シード・グリンは、タングの厨房で、客席から回収してきた大皿たちを片端から洗食器に放り込んでいた。と、客席からの音が、突然、消えた。ガヤガヤと騒がしかった談笑が途切れ、大きめの音量で流しているはずのBGMも聞こえない。代わりに、
「ハムダル星とその衛星に住むすべての星民の皆さま。こんばんは」
という、女性の声が聞こえてきた。
強い違和感を感じて、シードは仕事を中断してフロアの方に顔を出した。と、店の壁の大型ディスプレイに……いつもはそこでは、山奥を流れる美しい川や、荒野を走る野生の動物や、夕焼けに染まる海や、その海の中を泳ぐ魚たちの映像などを無音で流しているのだが……そこに、政府関係者と思しき女性がひとり、簡素なスタジオで原稿を読んでいるのが映っていた。
「明日の16時30分。ゼロの広場にて、サラ・ヴェリチェリ大統領が、ハムダル星のこれからについて皆さまに重大な発表を行います。お時間のある方は、ピュアの皆さまも、ビジターの皆さまも、ゼロの広場に足をお運びください。それが難しい方は、大統領演説の中継をご覧ください。当日、すべてのチャンネルがサラ・ヴェリチェリ大統領の演説中継に切り替わります。これはとても異例なことですが、それだけ重大な発表なのだとご理解ください。ご静聴、ありがとうございました』
女性が頭を下げる。
次の瞬間、映像はパチンと消えた。ディスプレイは、何事もなかったかのように、雨の森の映像を再開し、店のスピーカーからは、ポリメトリックなビートが効いたワギィという惑星の音楽がフェード・インで戻ってきた。が、客たちは、臨時放送が終わった後も、この突如の大ニュースをどう捉えるべきか戸惑っているようだった。
その日、店のフロア係は、イェン・ダナだった。彼女は宇宙大学の三年生だったが、故郷の星からの仕送りでは生活できないので、夜はこの店でアルバイトをしていた。
「ねえ、イェン。今の放送、なんだったの?」
シードは小声で訊いてみた。
「私にもよくわかんない。でも、とにかく、明日、なんか重大な発表をするらしいよ」
「大統領が?」
「そう。あの、二ヶ月も失踪同然だった大統領が」
「わざわざ、ゼロの広場で?」
「そう。もったいぶらずに今の放送で言えば済む話なのに、わざわざ明日、ゼロの広場で発表するんだって」
「へええ」
と、客としてやってきていたリク・ソンムとラット・オル・オルルが、ふたりの会話に割って入ってきた。
「これは、絶対行くしかないよな」
「超最優先イベントだよ。間違いないよ」
リクもラットも宇宙大学生。イェンと同じパラン・ゼミの仲間であり、そしてリクの方はおそらくイェンの恋人だ。
「行くって明日? 激混みだと思うよ?」
イェンがそう言うと、リクは少し声を落とし、
「冷静に考えてみろよ。サラ・ヴェリチェリがビジターの前で演説するなんて、大統領就任式以来だろ? ということはつまり、明日の話は、俺たちビジターに向けての重大発表だってことだよ」
「私たちに向けての重大発表? え、まさか……」
イェンの表情がパッと明るくなった。
「そうだよ。その『まさか』の可能性、あるんじゃないかな」
リクがギュッとイェンの手を握りながら言った。
イェンとリクとラットは、大学のゼミとはまた別に、週に一回、とあるデモ活動に参加をしていた。始めて、もう半年近くになる。
『ビジターにも選挙権を!』
ハムダルでは、選挙権がピュアにしかない。なので政治家は、ピュアたちに受けの良い政策しか実行しない。しかし、ハムダル星府が、経済的な理由から「移民の積極的受け入れ」を開始して400年超、ハムダル星ではひたすら移民が増え続け、今や人口の99パーセントはビジターなのである。ただし富については真逆で、ハムダルの金融資産の99パーセントはピュアが保有している。その格差、不均衡、富の偏在への不満から、この100年ほどは、十数年に一度くらいの、ビジターの学生たちを中心に大きなデモが起きていた。その都度、ピュアたちは多少の譲歩をしてビジターの権利を申し訳程度に増やす。だが、選挙権だけは、頑として譲らなかった。リクやイェンたちは、その分厚い壁を破ることを夢見ている。ビジターにも選挙権が与えられれば、そこから劇的に社会は変革すると彼ら彼女らは思っている。貧困は減り、差別も減り、治安は向上し、より多くの人が幸せな人生を送れる。そう彼ら彼女らは信じていた。
「明日の演説が選挙権の話だとしたら、明日はまさに『歴史が動く日』ってことになる。これを見逃すなんて有り得なくないか?」
リクは、自分で自分の言葉に興奮していた。
「シードも一緒に行かない?」
そう、ラットが誘ってくる。
「リクの予想が当たったら、明日は星じゅうがお祭り騒ぎになるよ」
「でも私、大学生じゃないし。デモにも行ったことないし」
「関係ないよ、そんなの。俺らもシードも、同じビジター。それだけで十分だよ。なあ、イェン」
「そうだよ、シード。一緒に行こうよ」
そんなイェンとラットの横で、リクは他のゼミ仲間たちにメッセージをどんどんと送り始めている。
「どうせなら、最前列で見たいよなあ……あ! 今から徹夜で場所取りしようぜ」
「今から?」
「今から!」
「でも私、明日、単位がやばめの授業があるんだった」
イェンが急に思い出す。
「大丈夫だよ。場所取りなんて、みんなで交代でやればいいんだから」
すぐにラットが言う。
「なら、良いかな。シードはどうする?」
「え」
「シードも一緒に行こうよ。明日は多分、歴史的なイベントだよ? これ見逃したら、一生後悔間違い無しだよ?」
「そうかな」
シードは大学生ではなかったし、勉強も好きではなかったし、政治的なことにも興味は無かったけれど、サラ・ヴェリチェリの顔と名前は知っていたし、有名人を直接自分の目で見るチャンスには気持ちがそそられた。
「私、明日のランチもシフトに入ってくれないかって頼まれてるんだよね。たぶん、三時には終わると思うけど……」
「それも大丈夫だよ。俺たちは『朝まで組』ってことにして、その後、ハルキとかウツワとかハルカたちに『朝から組』になってもらって、で、俺らはやんなきゃいけないことサクサク片付けて、16時半にまたゼロの広場に再集合すれば良いんだからさ」
そんな風にラットとイェンから説得されて、シードもついにゼロの広場行きを了承した。厨房に戻り、父親のソイルに電話をする。ソイルも、明日のサラ・ヴェリチェリ大統領の演説については既に知っていた。
「それは、ちょっと危ないんじゃないかな」
珍しく、ソイルは娘の希望に反対した。
「俺も放送は聞いたけれど、あんな言い方をしたら、ひとつの広場に何万という人が来てしまうんじゃないか? ちょっとしたはずみで大事故が起きるかもしれないし、お父さんはあまり賛成できないなあ」
しかし、シードはもう、大学生たちに「イエス」の返事をしてしまっていた。それに、大学生たちと一緒に徹夜で場所取りというのも、非日常な感じで楽しそうに思えてきていた。彼らとの時間は、ハドゥンの川の向こうにいるご近所の農家さんや、地元の同級生たちからは得られない刺激があった。
「危なそうだと思ったらそのまま帰ってくるから、とりあえず、場所取りだけはみんなと一緒にしてもいい?」
ソイルはしばらくためらっていたが、彼はもともとひとり娘にとても甘い性格だった。
「何かあったら、すぐに父さんに連絡を入れるんだぞ」
そう言って、最後には娘の希望を認めてくれた。
22時にタングが閉店すると、シードは、イェン、リク、ラットの三人と一緒に店を出た。店から北東に2ブロック進めば、ハムダル宇宙大学の教養学部キャンパスの前に出る。先祖が移民組の学生たちは郊外から通い、イェンやリクなど自分が初代の移民組は、このキャンパス近くのシェアハウスに住むのがよくあるパターンである。このキャンパスを右に見ながら更に10ブロック進むと、左側にゼロの広場が見えてくる。前を行くリクとラットが、
「徹夜組、何人くらいいるかな?」
「千人くらい?」
「いやいや、徹夜だけで一万人いたりして」
「さすがに徹夜で一万は多過ぎだろ。でも、朝からはすごいだろうなあ」
などと話している。その後ろで、シードはイェンと並んで歩きながら、お互いの故郷のことや子供時代の話をしていた。なんとなく、そういう「普段だとあまりしない話」をしたい気分だったのだ。シードも、イェンも。
「お父さんと二人暮らしなんだっけ」
最初はそんな話題だった。
「うん。お母さんは、私が10歳の時に死んじゃって」
「そうなんだ。前に一度、仕入れの時に会ったけど、シードのお父さんって格好良いよね」
「そう?」
「そうだよ。腕とか筋肉すごいし、背中も筋肉すごいし、首の付け根のところなんかも筋肉のコブがもうたまらないくらいグワッってなってて」
「筋肉の話ばっかり」
そう言ってシードは笑った。シードの母は、ハーデ橋の向こうにあるレヴィル州の農家の一人娘で、父のソイルは、母と結婚するためにそこの婿養子になった。ソイルは、耕運機などのマシンは最低限しか使わず、たいていのことは自分の筋肉で済ませてしまう。そのおかげで、もう50歳近い年齢にもかかわらず、ソイルは筋骨隆々という形容詞のお手本のような身体をしていた。
「ただの、田舎のお百姓さんだよ」
そう言いながら、シードは父を褒められることが嫌いではない。ソイル・グリンが『ハーデ橋を渡った』のは何年前だっただろうか。彼は、自分が農家になる前のことはほとんど話さない。リグラブで別の仕事をしていたらしいのだが、その時のことを尋ねても「ただの肉体労働さ。同じ体を使う仕事なら、農業の方が百倍エキサイティングな仕事だよ。何と言っても、頑張れば必ず『収穫』というご褒美があるんだからね」と言って、過去のことはあまり語らないのだった。
「実は私さ、人工筋肉の研究がしたいんだよね」
イェンが言った。
「へええ。そうなんだ。初耳」
「私の家族、超深度の地下鉱山で働いててね。重力も弱いし恒星からの光エネルギーも足りないから、骨が紙みたいに脆いの。ちょっと何かにぶつけただけでポキッと折れちゃうくらい。でも、安価な人工筋肉が開発されて、その筋肉が衝撃を吸収して骨を守ってくれるようになったら、そういう人たちのQOLも少しは向上すると思うの」
「QOLって?」
「クオリティ・オブ・ライフ。生活の質。まあ、簡単に言うと、安くて丈夫な筋肉が作れたら、みんなもっと幸せになれると思うのって話」
「へええ。すごいね。そんなこと考えてたんだ」
「まあね。ピュアにばっかり科学の恩恵があるっていうのも悔しいし。とか言いつつ、私、今年の専門科には進めなかったんだけど」
イェンは軽く口を「へ」の字に曲げ、肩を竦めた。
「町医者くらいなら、教養科の単位だけでもなれるけど、新しい研究をしたいと思ったら専門科はもう絶対条件だからね」
「そうなんだ」
「訳わかんないよ。私、去年、22科目でAで、Bはたったの2つだったんだよ。なのに、Bが16個もあったピュアは専門科に進んで、私は教養科のまま」
「……」
「リクなんか、2年で全科目A。3年でも全科目A。なのに、未だに専門科に進学許可が降りなくて、このままだと教養科で受講してない科目がなくなっちゃうってよく愚痴ってる」
「……」
イェンがため息をつきながら、小さく頭を左右に振った。赤みがかった茶色の長い髪が、ため息に合わせて微かに揺れた。
イェンと一緒に働くようになって初めてシードは知ったのだが、ハムダル宇宙大学は、ちょっと不思議なシステムになっていた。
入学試験を突破した者は、まず、首都リグラブのダウンタウンにある教養学部に入学する。この教養学部の校舎は、「ザ・クラッシュ」の前までは神殿として使われていたと噂されている重厚かつ荘厳な建物で、その正門左右の石柱には、この大学の理念が、それぞれアファルべと呼ばれる古代ハムダル文字で彫られている。
「知こそが最強の矛である」
「知こそが最後の盾である」
ハムダル宇宙大学は、ハムダル星府が直接管轄をする唯一の大学であり、文系理系を問わず、あらゆる学術分野でハムダル経済圏随一の大学であり、この大学を卒業した者は、それだけで将来の成功を約束されたも同然と言われている。年齢・性別・星籍不問であらゆる人に受験資格が認められているので、毎年膨大な数のビジターが入学試験を受けにやってきていた。合格率は公表されていないが、およそ8000分の1と言われている。合格した者は、ピュア、ビジターの区別なく、ここでまず2年間、一般教養と呼ばれる120の科目から24科を選んで受講する。
問題は3年目からである。
学生たちは3年目から専門科と呼ばれるコースに進む。宇宙航法、環境制御、基礎物理、量子論、多次元数学、医学、法学、星間経済学……専門科の内容は多岐に渡るが、それぞれの学舎の場所はトップ・シークレットとされており、どこの街にあるのか、そもそも地上にあるのか、地下や衛星ルーンにあるのか、一般人には全く知らされていなかった。二学年の最後に進路の希望を出し、合格と認められた者は、守秘義務を認める契約書にサインをする。そして、家族にも新しい住所を教えずそっと引っ越しをするのだ。
ちなみに、ハムダル宇宙大学(と、それを管轄するハムダル星府)は、専門科の合否審査内容を開示していない。単なる成績順では無いのは確かだが、成績以外に何の要素が審査に加味をされているのか学生たちは知らない。なので、リクやイェンのように、成績優秀にもかかわらず専門科に進めない者もいれば、下から数えた方が早いような成績の者が、もっとも競争率が高いと言われる「宇宙航法」のコースに進んだりする。
「調べてみたらさ、ピュアは全員、なんらかの専門科に進んでるんだよ」
以前、そうリクは吐き捨てるように言っていた。
「俺たちはどうすりゃいいのかな。ビジターの場合は、ピュアへの忠誠心? 隠しカメラや隠しマイクを意識しながら、毎日毎日ピュアへのおべっかを言いまくってれば、俺も専門科に進めるのかな」
希望の専門科に進めなかった者は、第二希望、第三希望と進路を変えるか、あるいは留年を選択する。リクとイェンは留年組である。成績優秀者であるにも関わらず。彼らがビジターの権利を訴えるデモ活動に傾倒していく気持ちが、シードにもわかる気がした。わかったところで、力になれることは何も無いのだが。
「地下鉱山の給料って、びっくりするほど安いんだよね。そんな中から、親は私の学費を出してくれてるわけでさ。変な意地悪しないで、普通に専門科に行かせてくれてもいいじゃんね? 医学が発展して困る人なんていないのにさ」
イェンはそう言いながら、ドンッと甘えるようにシードに肩をぶつけた。シードはなんと答えて良いかわからなかった。それからイェンは、自分が子供時代どれだけ神童と呼ばれたかの話を始め、シードはシードで、勉強は最悪だったが陸上競技では無敵だったという話をした。
「14歳の時、800メード走で、州チャンピオンになったんだよ」
シードはそう自慢した。
「でも、大会の華は100メード走か10000メード走で、800なんて中途半端な距離はあんまり注目されないんだよね。悔しかったなあ」
言いながら、シードが昔の悔しさを思い出して顔をしかめると、
「シードって本当に面白いよね」
と言って、イェンは声をあげて笑った。面白い話をしたつもりはなかったので、シードは少し憮然とした。二人の前でラットが、
「クッソ。ハルキだけが連絡取れないんだよなー。いつまで田舎帰ってるんだろ、あいつ」
と口を尖らせながら言っていた。
そうこうしているうちに、四人はゼロの広場に着いた。自分たちと同じようなことを考えているグループが、既に何十組も、ステージ前に陣取っているのが見えた。
「ヤバい! 俺たちも急ごう」
ラットはそう言って駆け出した。慌てて他の三人も続く。最前列どころか、大統領の表情が見える前方ですら難しそうな雰囲気だ。だが、ダメもとで前に前にと進んでいくと、急にイェンとリクが歓声を上げた。
「モネ! えーっ! あんた、明日の朝から組じゃなかったの?」
なんと、同じゼミの別の子が先に来ていて、中央で前からも10列めくらいの素晴らしい場所をキープしていたのだ。モネと呼ばれた一年生の女の子は、イーザという乾燥植物で編んだ大判のシートを広げ、そのど真ん中にチョコンとひとりで座っていた。モネの星は、遺伝的に皆、細身で顔も小さく背も低く、ハムダルでは中学生くらいの体格で成長が止まるのだという。
(まるで、お人形のような可愛さだなー)
モネ・デミスを見るたびにシードは思う。農作業の手伝いで真っ黒に日焼けして、おまけに父親並みに筋肉質な自分とは全然違う。モネは、仲間がやってくるのを見つけると、自分のバッグから大きなボトルを取り出した。数種類の果物分子を組み換えてから発酵させた、リグスパという安くて甘くて簡単に酔えるアルコール飲料。経済的にあまり余裕のないビジター宇宙大学生たちには、このお酒がとても人気だった。
「一応、おつまみも用意してきました」
モネは声も可愛い。よく気もつく。ハーデの橋を渡ってレヴィルの街に来てくれたら、あっという間に千人以上の百姓男どもからプロポーズされること間違い無しだ。
「それから、これも」
そう言って、モネは次に、手製の横断幕を取り出した。
「まじで? そこまで準備万端?」
ラットが両手を大きく広げて驚きを表現した。
「実は、俺が頼んだんだ」
そうリクがネタバラシをする。
「あんまり大きいのは作れなかったんですけど、最前列なら、これでも大統領は読めるかなと思って」
そう言いながら、モネが横断幕を広げる。そこには、綺麗な手書きの書体で、こう書いてあった。
「サラ! ビジターにも選挙権をありがとう!」
「え、もう決め打ち?」
イェンが尋ねる。
「たぶんさ、明日はメディアのカメラも入ると思うんだ。選挙権が認められれば、これって最高のプラカードになるし、もし全然違うネガティブな話だったら、このプラカードは最高の皮肉にもなると思うんだ」
そうリクが説明をする。
「大統領だって、毎週学生がデモをやってることは絶対知ってるはずだし、ならとにかく、大統領の心に何か爪痕を残せるようなプラカードが良いと思ってさ」
全員が、うんうんとうなづいた。少なくとも、自分たちの主張を、大統領であるサラ・ヴェリチェリ本人に直接ぶつけることが出来るのだ。それだけで、徹夜で場所を確保する意味はある。みんな、そう思っていた。
それから夜明けまで、酒を飲みながら、シードたちはさらにいろいろな話をした。
たとえば、リクの故郷だと、海が無い代わりに巨大な地底湖があって、そこで漁が行われていること。
たとえば、ラットの故郷では、人々の手には皆、水かきがあること。
「でも、手に水かきはあるけど、水はあんまり無いんだよ。大昔に干上がっちゃったみたいでさ。だから、これを水かきって言うのもハムダルだけの話で、うちらの田舎では単に皮って呼んでるんだけど」
言いながら、ラットは、肌の色よりほんの少しだけ色の薄い膜を広げてみんなに見せた。
たとえば、イェンの星では、十歳くらいまでは全員が両性具有で、男になるか女になるかは、その後のホルモンの分泌を見るまでわからないこと。
たとえば、モネの故郷は寒冷惑星で、顔を洗うと乾燥と雪焼けで皮膚がボロボロになるので、人々は滅多に顔を洗わないこと。
それらの話のどれもが、シードには新鮮で面白かった。シード自身はハムダル移民七世で、ここハムダル星以外に故郷と呼べる星が無いので、帰る故郷のある学生たちが羨ましくすらあった。楽しい時間はあっという間に過ぎて朝になり、ウ・ツワや、ガジュジュガマジューンズ(どこまでが名前でどこからが名字なのかいつもわからない)など、更に七人の学生が増えた。が、その中にハルキ・ぺザンの姿が無かった。シードの働く店に、これまで一番良く通ってくれた二年生のハルキ・ぺザン。実はシードは、ハルキのことが少し気になっていた。なので、彼がいないのは残念だった。でも、それを差し引いても、この夜はとても楽しい夜だった。仲間十二人で朝食を食べ、それからシードは、歩いてタングに戻った。店長のファファと一緒にランチの仕込みをし、それから小一時間仮眠を取る。
「そういえば、場所取りはどうだった?」
「はい。とっても良い場所を確保できました。真ん中で、前から10列目です」
「それはすごい!」
「店長も来ます?」
「いや、俺は腰も悪いし、部屋でヌクヌクと中継を見るよ。シードは今日はランチの後の掃除はいいから、終わったらすぐまた行くと良いよ」
「ありがとうございます。でも大丈夫です。交代で場所取りしてるので、ちゃんと掃除もしていけます!」
いつも通りきちんとランチ・タイムを働き、シードが広場に戻った時、時刻は15時半だった。その時にはもう、広場は入り口から黒山の人だかりになっていて、広場の入り口から仲間のいる場所に進むだけで50分かかった。
「シード! 早く! シード!」
先に戻っていたイェンが大声で手を振る。
「もう始まるよ!」
イェンの横では、リクたちがモネの手製の横断幕を早くも広げている。その彼らの向こうには、これからサラ・ヴェリチェリが立つステージが見える。
と、ドスンと黒ずくめの服を着た女とぶつかった。痩せぎすで、骨ばっていて、ゴツゴツとした石に当たったような痛みがあった。
「あ、ごめんなさい」
実際は、シードの方がぶつかられた格好だったが、それでも彼女は反射的に謝った。相手の女はシードの方を振り向きもせずに去っていく。
(なんだろ。感じ悪いな)
そんなことを思った時、後方から大きなどよめきが聞こえきてた。大統領専用車が広場に入ってきたのだ。ステージの横まで来て、止まる。群衆は、静まりかえったまま、その車を見つめている。ドアが開く。サラだ。護衛の女性に続いて、サラ・ヴェリチェリ本人が、車内から姿を現した。白いストゥを着ている。ゆっくりとステージに上がる。群衆は無音のまま、サラの第一声を待っている。サラが、ステージ中央までゆっくりと歩く。シードも、なぜか緊張で体を固くしながら、他の群衆たちと同じようにサラの第一声を待っていた。サラは演壇に着いてもすぐには言葉を発さず、一万人の聴衆をゆっくりと見回した。視線が、シードの方にもやってくる。
なんと、サラと一瞬、目が合った!
と、とても不思議なことが起きた。一定のスピードで聴衆を見回していたサラの動きが、シードのところでピタリと止まったのだ。シードがサラを見つめているのは当たり前だが、サラがシードを見つめる意味は判らなかった。ほんの数秒、サラはシードを見つめた。微笑んでいるような、それでいて少し悲しげな表情に見えた。次にサラは、一度、大きく天を仰いだ。それからようやく、演壇のマイクに向かって声を発した。
「ハムダル星に暮らす全ての星民の皆さん。今日は皆さんに、ご報告しなければならないことがあります」
落ち着いた声で、サラは語り出した。
「ハムダル星は、三年と二ヶ月後に消滅します」

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