第一章 6
その日、大統領をひと目見ようとやって来た人間は、1万人近かった。聖なる広場にサラ・ヴェリチェリが登場すると、その1万人が一斉に沈黙した。拍手は起きなかった。が、下品な野次も飛ばなかった。ハムダル星系を支配するピュア。そのピュアの長である大統領が、こうして大勢のビジターたちの前に姿を現すことは異例中の異例だった。それが、良きことなのか、それとも悪いことなのか。期待と不安をないまぜにした状態で、彼ら彼女らは、とにかく、サラ・ヴェリチェリの第一声を待っていた。
サラがステージに登る。ステージの前には、大きな石のレリーフがひとつ。更にその前に、今日は長いロープが張られ、聴衆は皆、そのロープの前には出ては行けないと決められていた。そのロープの際ギリギリ、最前列のほぼ真ん中に、ハムダル宇宙大学の学生グループがいた。彼らは、パラン・エフ教授が教える星間歴史学のゼミの仲間同士。全員がビジター。昨夜、サラ・ヴェリチェリが聖なる広場で演説をすると聞き、ここで徹夜で場所取りをして最前列を確保したのだった。そのグループの中にひとりだけ、パラン・ゼミ生ではない、それどころかハムダル宇宙大学生ですらない若い女性が混じっていた。
シード・グリン。
ハムダル年で17歳。首都リグラブの街の西側を流れるハドゥン川にかかるハーデという大きな橋を渡った先にある農場のひとり娘。一年前から、父・ソイル・グリンが作った野菜をリグラブのダウンタウンのレストランやバーに配達していた。そして、その配達先のうちの一軒である多星籍料理が売りのバルの店主に声を掛けられ、週に四日、彼の店で働くようになっていた。「タング」という名のその店は、ハムダル宇宙大学の教養学部キャンパスからほど近く、酒代も料理代もとてもリーズナブルだったので、いつも多くの大学生たちの溜まり場になっていた。
昨夜。ハムダルじゅうのチャンネルが、通常の番組を中断して、サラ・ヴェリチェリの演説を発表した時。サラ専属の「盾」であるメイ・ウォンが、自分のビークルを路肩に寄せて、その臨時放送を聴いていた時。シード・グリンは、タングの厨房で、客席から回収してきた大皿たちを片端から洗食器に放り込んでいた。と、客席からの音が、突然、消えた。ガヤガヤと騒がしかった談笑が途切れ、大きめの音量で流しているはずのBGMも聞こえない。強い違和感を感じて、シードは仕事を中断してフロアの方に顔を出してみた。と、店の壁の大型ディスプレイに……いつもはそこでは、山奥を流れる美しい川や、荒野を走る野生の動物や、夕焼けに染まる海や、その海の中を泳ぐ魚たちの映像などを無音で流しているのだが……そこに、見慣れぬ女性がひとり、殺風景なスタジオでひとり原稿を読んでいるのが映っていた。
「明日の16時30分。聖なる広場です。お時間のある方は、ピュアの皆さまも、ビジターの皆さまも、是非、聖なる広場に足をお運びください。それが難しい方は、ぜひ、大統領演説の中継をご覧ください。当日、すべてのチャンネルは、サラ・ヴェリチェリ大統領の演説中継に切り替わります。とても異例なことですが、それだけ重大な発表なのだとご理解ください。ご静聴、ありがとうございました」
次の瞬間、映像はパチンと消えた。ディスプレイは、何事もなかったかのように、雨の森の映像を再開し、店のスピーカーからは、ポリメトリックなビートが効いたワギィという惑星の音楽がフェード・インで戻ってきた。が、客たちは、臨時放送が終わった後も、この突如の大ニュースをどう捉えるべきか戸惑っているようだった。
その日、店のフロア係は、イェン・ダナだった。彼女は宇宙大学の三年生だったが、故郷の星からの仕送りでは生活できないので、夜はこの店でアルバイトをしていた。
「ねえ、イェン。今の放送、なんだったの?」
とシードは小声で訊いてみた。
「私にもよくわかんない。でも、とにかく、明日、なんか重大な発表をするらしいよ」
「大統領が?」
「そう。あの、二ヶ月も失踪同然だった大統領が」
「わざわざ、聖なる広場で?」
「そう。もったいぶらずに今の放送で言えば済む話なのに、わざわざ明日、聖なる広場で発表するんだって」
「へええ」
と、客としてやってきていたリク・ソンムとラット・オル・オルルが、スッとふたりの会話に入ってきた。
「これは、絶対行くしかないよな」
「超最優先イベントだよ。間違いないよ」
リクもラットも宇宙大学生で、イェンとは同じゼミの仲間であり、そしてリクの方はおそらくイェンの恋人だ。
「行くって明日? 激混みだと思うよ?」
そうイェンが言うと、リクは少し声を落とし、
「冷静に考えてみろよ。サラ・ヴェリチェリがビジターの前で演説するなんて、大統領就任式以来だろ? ということはつまり、明日の話は、俺たちビジターに向けての重大発表だってことだよ」
「私たちに向けての重大発表? え、まさか……」
イェンの表情がパッと明るくなった。
「そうだよ。その『まさか』の可能性、あるんじゃないかな」
リクがギュッとイェンの手を握りながら言った。
イェンとリクとラットは、同じゼミの仲間たちと一緒に、もう半年近く、週に一回とあるデモ活動に参加をしていた。
『ビジターにも選挙権を!』
それが、そのデモのメインのスローガンだ。ハムダルでは、選挙権がピュアにしかない。なので、当然政治家は、ピュアたちに受けの良い政策しか実行しない。しかし、この1000年、ハムダルではひたすら移民は増え続け、今や人口の99パーセントはビジターなのである。(ただし富は真逆で、ハムダルの金融資産の99パーセントはピュアが保有している) その、格差、不均衡、富の偏在への不満から、数十年ごとに一度、ビジターの学生たちを中心に大きなデモが起きる。そしてその都度、ピュア政府が多少の妥協をしてビジターの権利を申し訳程度に増やす。それがハムダルのこれまでの歴史だった。だが、選挙権だけは、今まで頑として政府は譲らなかった。リクやイェンたちは、その分厚い壁を破ることを夢見ている。ビジターにも選挙権が与えられれば、そこから劇的に社会は変革するのだと彼ら彼女らは思っている。貧困は減り、差別も減り、治安は向上し、より多くの人が幸せな人生を送れる。そう彼ら彼女らは信じている。
「明日の演説が選挙権の話だとしたら、明日はまさに、歴史が動く日ってことになる。これを見逃すなんて有り得なくないか?」
リクは、自分で自分の言葉にどんどんと興奮を強めていくようだった。
「シードも一緒に行かない?」
そう、ラットが誘ってくる。
「リクの予想が当たったら、明日は星じゅうがお祭り騒ぎになるよ」
「でも、私、大学生じゃないし、デモに行ったこともないし」
「関係ないよ、そんなの。俺らもシードも、同じビジター。それだけで十分だよ。なあ、イェン」
「そうだよ、シード。一緒に行こうよ」
そんなイェンとラットの横で、リクはゼミの他の仲間にどんどんとメッセージを送り始めている。
「どうせなら、最前列で見たいだろ? だったら、今から徹夜で場所取りしようぜ」
「今から?」
「今から!」
「あ、でも私、明日、単位がやばめの授業があるんだった」
そうイェンが急に思い出す。
「大丈夫だよ。場所取りなんて、みんなで交代でやればいいんだから」
すぐにラットが言う。
「なら、良いかな。で、シードはどうする?」
「え」
「シードも一緒に行こうよ。明日は多分、歴史的なイベントだよ? これ見逃したら、一生後悔間違い無しだよ?」
「そうかな」
シードは大学生ではなかったし、そもそも勉強もそんなに好きではなかったし、政治的なことにも特に興味は無かったけれど、サラ・ヴェリチェリの顔と名前は知っていたし、有名人を直接見られるチャンスにはちょっと気持ちがそそられた。
「私、明日のランチもシフトに入ってくれないかって頼まれてるんだよね。たぶん、三時には終わると思うけど……」
「それも大丈夫だよ。俺たちは朝まで組ってことにして、その後、ハルキとかウツワとかハルカたちに朝から組になってもらって、で、俺らはやんなきゃいけないことサクサク片付けて、16時半にまた聖なる広場に戻れば良いんだからさ」
そうラットとイェンから説得されたので、シードは厨房に戻ってから、タイミングをみて父親のソイルに電話をした。父親も、明日のサラ・ヴェリチェリの演説については既に知っていた。
「それは、ちょっと危ないんじゃないかな」
珍しく、ソイルは娘の希望に反対をした。
「俺も放送は聞いたけれど、あんな言い方をしたら、ひとつの広場に下手したら何万という人が来てしまうかもしれないぞ。ちょっとしたはずみで大事故が起きるかもしれないし、お父さんはあまり賛成できないなあ」
しかし、シードは、大学生たちのグループと、徹夜で一緒に場所取り、というのをしてみたかった。彼らたちとの時間は、ハドゥンの川の向こうにいるご近所さんや同級生たちとの時間とは異質な刺激に満ちていたからだ。ほんの少し年上というだけなのに、彼らはとても大人に見えた。それで、シードは、
「危なそうだと思ったらそのまま帰ってくるから、とりあえず、場所取りだけはみんなと一緒にしてもいい?」
と言って、父を説得した。ソイルはしばらくためらっていたが、彼はもともとひとり娘にとても甘い性格だった。それで、
「何かあったら、必ずすぐ、父さんに連絡を入れるんだぞ」
と言いながら、最後には娘の徹夜の外出を認めてくれた。
22時にタングが閉店すると、シードは、イェン、リク、ラットの三人と一緒に店を出た。店から北東に2ブロック進めば、そこはもうハムダル宇宙大学の教養学部キャンパスである。先祖が移民組の学生たちは郊外から通い、そして、イェンやリクなど、自分が初代の移民組は、このキャンパス近くのシェアハウスに住むのがよくあるパターンである。このキャンパスを右に見ながら、更に10ブロックほどせっせと歩くと、今度は左側に、聖なる広場が見えてくる。前を行くリクとラットが、
「徹夜組、何人くらいいるかな?」
「さすがに、徹夜は百人くらいじゃない? 朝からは続々と来そうだけど」
などと話している。その後ろで、シードはイェンと並んで歩きながら、お互いの故郷のことや、子供時代の話をした。なんとなく、そういう「普段だとあまりしない話」をしたい気分だった。シードも、イェンも。
「お父さんと二人暮らしなんだっけ」
最初はそんなところから始まった。
「うん。お母さんは、私が10歳の時に死んじゃって」
「そうなんだ。前に一度、仕入れの時に会ったけど、シードのお父さんって格好良いよね」
「そう?」
「そうだよ。腕とか筋肉すごいし、背中も筋肉すごいし、首の付け根のところなんかも筋肉のコブがもうたまらないくらいグワッってなってて」
「筋肉の話ばっかり」
そう言ってシードは笑った。シードの家は、母方がずっとハーデ橋の向こうにあるレヴィル州で農業をやっていて、ソイル・グリンはそこに婿養子にやってきた。耕運機などは最低限のものしか使わず、たいていのことは自分の肉体を酷使することで済ませてしまう。そのおかけで、もう50歳近い年齢にもかかわらず、ソイルは筋骨隆々という形容詞のお手本のような身体をしていた。
「ただの、田舎のお百姓さんだよ」
そう言いながら、シードは父を褒められることが嫌いではない。ソイル・グリンが『ハーデ橋を渡った』のは何年前だっただろうか。彼は、自分が農家になる前のことはほとんど話さない。リグラブで別の仕事をしていたらしいのだが、その時のことを尋ねても「ただの肉体労働さ。同じ体を使う仕事なら、農業の方が百倍エキサイティングな仕事だよ。何と言っても、頑張れば必ず『収穫』というご褒美があるんだからね」と言って、過去のことはあまり語らないのだった。
「実は私さ、人工筋肉の研究がしたいんだよね」
と、イェンが言った。
「へええ。そうなんだ。初耳」
「私の家族、地下鉱山で働いててね。恒星からの光エネルギーが絶対的に不足してるせいで、とっても骨が弱いの。ちょっとした衝撃でポキンって折れちゃうの。でも、手軽な人工筋肉が開発されて、それが骨をギュッとガードしてくれるようになったら、そういう人たちのQOLもとっても向上すると思うのよ」
「QOLって?」
「クオリティ・オブ・ライフ。生活の質。まあ、簡単に言うと、安くて丈夫な筋肉が作れたら、みんなもっと幸せになれると思うのって話」
「へええ。すごいね。そんなこと考えてたんだ」
「まあね。でも、今年、専門科に進めなかったからね」
イェンは軽く口を「へ」の字に曲げ、肩を竦めた。
「町医者くらいなら、教養科の単位だけでもなれるけど、新しい研究をしたいと思ったら専門科はもう絶対条件だからね」
「そうなんだ」
「訳わかんないよ。私、去年、22科目でAで、Bはたったのふたつだったんだよ。なのに、Bが16個もあったピュアは専門科に進んで、私は教養科のまま」
「……」
「リクなんか、2年で全科目A。3年でも全科目A。なのに、未だに専門科に進学許可が降りなくて、このままだと教養科で受講してない科目がなくなっちゃうってよく愚痴ってる」
「……」
イェンがため息をつきながら、小さく頭を左右に振った。赤みがかった茶色の長い髪が、ため息に合わせて微かに揺れた。
イェンと一緒に働くようになって初めてシードは知ったのだが、ハムダル宇宙大学は、ちょっと不思議なシステムになっていた。
入学試験を突破した者は、まず、首都リグラブのダウンタウンにある教養学部に入学する。この教養学部の校舎は、「ザ・クラッシュ」の前までは神殿として使われていたと噂されている重厚かつ荘厳な建物で、その正門左右の石柱には、
「知こそが最強の矛である」
「知こそが最後の盾である」
と、アファルべと呼ばれる古代ハムダル文字で彫られている。
ハムダル宇宙大学は、ハムダル星系唯一の大学であり、年齢・性別・星籍などに関係なく、あらゆる人に受験資格が認められていたので、毎年毎年、膨大な数のビジターが入学試験を受けにやってきていた。合格した者は、ピュア、ビジターの区別なく、ここでまず2年間、一般教養と呼ばれる120の科目から自分が興味のあるもの24科選んで受講する。
問題は3年目からである。
通常、学生たちは3年目から専門科と呼ばれるコースに進む。宇宙航法、環境制御、基礎物理、量子論、多次元数学、医学、法学、星間経済学……専門科の内容は多岐に渡るが、それぞれの学舎の場所はトップ・シークレットとされており、どこの街にあるのか、そもそも地上にあるのか、地下や月にあるのか、一般人には全く知らされていなかった。学年の最後に進路の希望を出し、合格と認められた者は、守秘義務を認める契約書にサインをし、家族にすら新しい住所を教えずそっと引っ越して行くのだが、その合格基準を大学側は開示していなかった。単なる成績順では無さそうなのだが、成績以外に何の要素が加味されているのか、学生たちは知らされていないのだ。なので、リクやイェンのように、成績優秀にもかかわらず専門科に進めない者もいれば、下から数えた方が早いような成績の者が、もっとも競争率が高いと言われる「宇宙航法」のコースに進んだりする。
「調べてみたらさ、ピュアは全員、なんらかの専門科に進んでるんだよ」
以前、そうリクは吐き捨てるように言っていた。
「俺たちはどうすりゃいいのかな。ビジターの場合は、ピュアへの忠誠心? 隠しカメラや隠しマイクを意識しながら、毎日毎日ピュアへのおべっかを言いまくってれば、俺も専門科に進めるのかな」
彼らがビジターの権利を訴えるデモ活動に傾倒していく気持ちは、部外者のシードにもなんとなくわかった。わかったところで、シードが力になれることなど、ほとんど無いのだが。
「地下鉱山の給料って、びっくりするほど安いんだよね。そんな中から、親は私の学費を出してくれてるわけでさ。変な意地悪しないで、普通に専門科に行かせてくれてもいいじゃんね? 医学が発展して困る人なんていないのにさ」
イェンはそう言いながら、ドンッと甘えるようにシードに肩をぶつけた。シードはなんと答えて良いかわからなかった。それからイェンは、自分が子供時代どれだけ神童と呼ばれたかの話を始め、シードはシードで、勉強は最悪だったが陸上競技では無敵だったという話をした。
「14歳の時、800メード走で、州チャンピオンになったんだよ」
そうシードは自慢した。
「でも、大会の華は100メード走か10000メード走で、800なんて中途半端な距離はあんまり注目されないんだよね。悔しかったなあ」
そうシードが昔の悔しさを思い出すと、イェンは「シードって本当に面白いよね」と言って声をあげて笑った。面白い話をしたつもりはなかったので、ちょっとシードは憮然とした。二人の前でラットが、
「クッソ。ハルキだけが連絡取れないんだよなー。いつまで田舎帰ってるんだろ、あいつ」
と口を尖らせながら言った。
そうこうしているうちに、四人は聖なる広場に着いた。自分たちと同じようなことを考えているグループが、早くも十組以上、ステージ前に陣取っているのが見えた。
「ヤバい! 俺たちも急ごう」
ラットはそう言って駆け出した。慌てて他の三人も続く。まさか最前列は取れないのか? だが、近くまで走っていくと急にイェンやリクが歓声を上げ始めた。
「モネ! えーっ! あんた、明日の朝から組じゃなかったの?」
なんと、同じゼミの別の子が先に来ていて、最前列のど真ん中をキープしていたのだ。モネと呼ばれた一年生の女の子は、イーザという故郷の青みがかった乾燥植物で編んだ大判のシートを広げ、そのど真ん中にひとりチョコンと座っていた。モネの星は、遺伝的に皆、細身で顔も小さく背も低く、ハムダルでは中学生くらいの体格で成長が止まるのだという。モネを見るたび(まるでお人形のような可愛さだな)とシードは思う。農作業の手伝いで真っ黒に日焼けして、おまけに父親並みに筋肉質の自分とは全然違う。モネは、仲間がやってくるのを見つけると、自分のバッグから大きなボトルを取り出した。数種類の果物分子を組み換えてから発酵させた、安くて甘くて簡単に酔えるアルコール飲料だ。最近、リグラブの繁華街ではこの飲料がとても人気だった。
「一応、おつまみも用意してきました」
モネ・デミスは声も可愛い。よく気もつくし、ハーデの橋を渡ってレヴィルの街に来てくれたら、あっという間に千人以上の男どもからプロポーズされること間違い無しだと思う。
「それから、これも」
そう言って、モネは次に、手製の横断幕を取り出した。
「まじで? そこまで準備万端?」
ラットが両手を大きく広げて驚きを表現した。
「実は、俺が頼んだんだ」
そうリクがネタバラシをする。
「あんまり大きいのは作れなかったんですけど、最前列なら、これでも大統領は読めるかなと思って」
そう言いながら、モネが横断幕を広げる。そこには、綺麗な手書きの書体で、
「サラ! ビジターにも選挙権をありがとう!」
と書いてあった。
「え、もう決め打ち?」
そうイェンが尋ねる。
「たぶんさ、明日はメディアのカメラも入ると思うんだ。選挙権が認められれば、これって最高のプラカードになるし、もし全然違うネガティブな話だったら、このプラカードは最高の皮肉にもなると思うんだ」
リクが説明をする。
「大統領だって、毎週学生がデモをやってることは絶対知ってるはずだし、なら、とにかく、大統領の心に爪痕を残せるようなプラカードが良いと思ってさ」
全員が、うんうんとうなづいた。少なくとも、自分たちの主張をサラ・ヴェリチェリ本人に直接ぶつけることは出来るのだ。それだけで、徹夜で最前列を確保する意味はある。みんな、そう思っていた。
それから夜明けまで、酒を飲みながら、シードたちはいろいろな話をした。
たとえば、リクの故郷だと、海が無い代わりに巨大な地底湖があって、そこで漁が行われていること。
たとえば、ラットの故郷では、人々の手には皆、水かきがあること。
「でも、手に水かきはあるけど、水はあんまり無いんだよ。これを水かきって言うのもハムダルの話で、うちらの田舎では単に皮って呼んでるんだけど」
そう言いながら、ラットは、肌の色よりほんの少しだけ色の薄い膜を広げてみんなに見せた。
たとえば、イェンの星では、十歳くらいまでは全員が両性具有で、男になるか女になるかは、その後のホルモンの分泌を見るまでわからないこと。
たとえば、モネの故郷は寒冷惑星で、顔を洗うと乾燥と雪焼けで皮膚がボロボロになるので、その星の人は滅多に顔を洗わないこと。
それらの話のどれもが、シードには新鮮で面白かった。シード自身はハムダル移民七世で、ここハムダル以外に故郷と呼べる星が無いので、学生たちのことが羨ましくすらあった。楽しい時間はあっという間に過ぎて朝になり、ウ・ツワや、ガジュジュガマジューンズ(どこまでが名前でどこからが名字なのかいつもわからない)など、更に七人の学生が増えた。が、シードのお店に一時期は一番良く通ってくれていた二年生のハルキ・ぺザンの姿は無かった。実はシードは、ハルキのことが少しだけ気になっていたので、彼に会えなかったのは残念だった。でも、それを差し引いても、この日の夜はとても楽しい夜だった。仲間十二人で朝食を食べ、それからシードは、歩いてタングに戻った。店長のファファと一緒にランチの仕込みをし、それから小一時間仮眠を取る。
「そういえば、場所取りはどうだった?」
「はい。最前列に陣取りました」
「それはすごい!」
「店長も来ます?」
「いや、俺は腰も悪いし、部屋でヌクヌクと中継を見るよ。シードは今日はランチの後の掃除はいいから、終わったらすぐまた行くと良いよ」
「ありがとうございます。でも大丈夫です。交代で場所取りしてるので、ちゃんと掃除もしていけます!」
そんな会話をし、いつも通りきちんとランチ・タイムを働き、シードが広場に戻った時には、時刻は16時になっていた。その時にはもう、広場は入り口から黒山の人だかりになっていて、広場の入り口からロープ際の最前列に進むだけで30分かかった。
「シード! 早く! シード!」
先に戻っていたイェンが大声で手を振る。
「もう始まるよ!」
イェンの横では、リクたちがモネの手製の横断幕を早くも広げている。その彼らの向こうには、これからサラ・ヴェリチェリが立つステージが見える。ドスンと小太りの女性とぶつかる。
「あ、ごめんなさい」
どちらかと言うと、シードの方がぶつかられた格好だったが、それでも彼女は反射的に謝った。相手の女はシードの方を振り向きもせずに去っていく。
(なんだろ。感じ悪いな)
そんなことを思った時、後方から大きなどよめきが聞こえ、そして、今までニュース動画の中でしか見たことがない、大統領専用車が広場に入ってきた。ステージの横まで来て、止まる。群衆は、静まりかえったまま、その車を見つめている。ドアが開く。サラだ。護衛の女性に続いて、サラ・ヴェリチェリ本人が、車内から姿を現した。白いストゥを着ている。ゆっくりとステージに上がる。群衆は無音のまま、サラの第一声を待っている。サラが、ステージ中央までゆっくりと歩く。シードも、なぜか緊張で体を固くしながら、他の群衆たちと同じように、サラの第一声を待っていた。サラは、演壇に着くと、すぐには言葉を発さず、1万人の聴衆を時間をかけて見回した。視線が、シードの方にもやってくる。
なんと、サラと一瞬、目が合った!
と、とても不思議なことが起きた。一定のスピードで聴衆の目を見ていたはずのサラの動きが、シードのところでピタリと止まったのだ。シードがサラを見つめているのは当たり前だが、サラがシードを見つめる意味は判らなかった。サラは数秒、何かに驚いたように大きく目を見開き、シードをじっと見つめた。それから一度、大きく天を仰いでから、ようやく演壇のマイクに向かって声を発した。
「ハムダル星に暮らす全ての星民の皆さん。今日は皆さんに、ご報告しなければならないことがあります」
落ち着いた声で、サラは語り出した。
「ハムダル星は、一年後に消滅します」